八ヶ月の刻が経った。
 とは言っても、それは信楽の異空間の中での話。現実世界での時間は、葵が連れ去られてからまだ十分と経過してはいない。
「……久しぶりね」
 巫女装束に身を包んだ葵は、感慨深く息を吐き出す。僅かたりとも変わっていないにも関わらず、その容姿には、それまでになかった淫靡なものが含まれていた。
 目を合わせたら妊娠させられる、という雑言も存在するが、今の彼女を見れば、その瞬間に射精させられていてもおかしくないほどだった。
「さてと……」
 見慣れた家の扉を、鍵を使うことなく術式によって開け、靴の代わりに履いた足袋を脱ぐことなく床の間へと上がる。
 両親や祖父、三つほど歳の離れた妹は既に寝ている時間だ。
(好都合ね)
 そう思いつつ、葵は自分の部屋へと忍び込む。自分の部屋なのだからそんな必要はないのだが、体感で八ヶ月も帰っていない以上、そういった意識がつきまとうのは仕方がないことだともいえた。
 部屋にある雑多なものの中から、必要最低限のもののみを集めると、葵はそれらに手をかざす。すると空間に孔が生じ、それらはこの空間から別の空間へと送られた。
「次は、と」
 続いて葵が向かったのは祖父の部屋だった。
 葵の祖父、柊芙蓉ふようは勇名をはせた術士である。最盛期には憑巫を相手にして引き分けたこともあるという実力者である。葵にとっては長物使いとしての直接の師でもあった。師としての祖父は厳しかったものの、それ以外の時の祖父はまさに好々爺といった人物で、葵もとても懐いていた。
「でもまぁ」
 自嘲するように呟きながら、葵の手に鳴神が顕現する。
 長さ三メートルにも及ぶその大薙刀を、葵は感慨もなさげに振り上げると、
「えい」
 小さな言葉と共に、祖父の喉を切断する。首を落としてもよかったが、それでは後が面倒である。
 今の葵にとって大切なのは信楽と、彼が与えてくれる快楽のみだといえる。それ以外のものはあくまで雑事に過ぎない。
 信楽はこの街を離れると告げ、『ケジメをつけてこい』と言った。
 そのケジメの形は、両親に家を離れることを告げるなり、あるいは未練を断ち切るなりと手段は様々ある。信楽もその形式について一切指定はしなかった。
 だが、葵はあえて『柊家の消滅』という選択肢を選んだ。そうすることで、柊家という呪縛から解き放たれ、信楽の奴隷というだけの存在になるために。
 葵自身ですら意外なことに、その選択に躊躇はなかった。祖父を屠った今ですら、その気持ちは変わらず、欠片ほどの罪悪感も浮かんではこない。
 祖父が絶命したことを確認すると、今度は両親の部屋へと足音を立てずに忍び込む。一般家庭からすれば広い柊家の屋敷とはいえ、大薙刀を持ったままでは流石に嵩張る。
 葵は鳴神を仕舞った状態で両親へと近付き、ふと思案する。
(母さんはどうしよう?)
 その悩みは決して、母に対する情からくるものではない。
 葵の母である美土里は、葵がそうであるように美しい容姿をしていた。それを信楽に献上すべきか否か、その一点で葵は悩む。
 一瞬の逡巡の後、再び鳴神を召還、祖父の時と同様、見事な手捌きでその喉元を割断した。
 母も歳の割には美しかったが、よく考えればそれ以上に信楽に献上するのに相応しい獲物が存在する。
 そう、それは。
 深夜にもかかわらず退魔の仕事に奔走する姉の帰りを寝床で待ちつつ、
 奇妙な物音に気付き寝床を離れ、
 今、葵の背後に立つ、歳の三つ離れた葵の妹、柊あかねである。
「丁度よかった。今、茜のことを迎えに行こうと思ってたの」
 いつも通りの、優しい姉の表情で、葵は告げる。
「お姉ちゃん? どうしたのその格好。なんか凄いエロっちぃよ? それに何でパパ達の寝室に……」
 茜が覗き見た、その後ろには首を割断された両親の遺骸がある。当然だ、つい今しがた、葵がこしらえたものなのだから。
「ッッ! きゃ……」
 茜が叫び声を上げる暇も無く、葵は空間の孔を開きその中に茜を押し込み自分もその中に入って行った。
 その晩、晴天の霹靂とも言うべき巨大な雷が、柊家屋敷へと落ち、全焼。後の警察の捜索によって、屋敷の内部からは三人の焼死体が発見された。
 発見された場所から、それらの死体が家主の柊芙蓉と息子、そしてその嫁であることが推定されたが、その家に住んでいたはずの柊葵、茜の二人の少女が見付かることはなかった。


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