魔法。
その概念の起源を辿れば、究極的には有史以前まで遡る必要が出てくるだろう。
無論、それは現在一般的に《魔法》と呼称される技術――近代魔術にしても同様だ。
しかし、実際に魔法という存在が現実的な技術として見られはじめたのは中世欧州である。
錬金術の発展に伴う科学技術の向上と時を同じくして、魔法技術はその存在を大衆に認知させた。
現在では全く別のものとして扱われている科学技術と魔法技術だが、中世西洋においてはどちらも同じく錬金術というカテゴリに含まれていた。
今でも、人の営みを豊かにするという結果をもたらす技術として、その二つをあわせて錬金術と呼称することもあるが一般的ではない。
そういった背景からもわかるように、科学と魔法というのは必ずしも相反するものではない。むしろ、魔法の行使に科学現象も多分に影響を与えていることは中世から既に知られていることである。
魔法という技術が大衆に知られるようになった要因としては、偉大なる魔法使い、クリスチャン・ローゼンクロイツ御大の存在を挙げなくてはならない。
ローゼンクロイツ御大は、それまで神の奇跡と信じられていた魔法という存在を研究していた異端――現在でいうところの魔法研究家達を集め、独りよがりと言っても差し支えのなかった彼らの研究を比べ、それぞれの正しい部分をまとめ、確たる技術として昇華させた。
彼の存在なくすれば、魔法という技術はこの世界に存在せず、後世に名を遺した彼ら魔法研究者達はただの変人として見なされていたことだろう。
御大が結成したその研究機関は名を薔薇十字団と言い、現在において最も権威のある魔法研究機関の一つであることは万人が認めることである。
しかし、御大の偉業によって技術としての体裁を得た魔法だったものの、同じく錬金術から派生した科学と比べ、大きく劣る部分が存在した。
それは使用者の資質である。
どんな人間であろうと、所定の手順さえ踏めばその現象を再現できる科学技術と異なり、魔法は使用者の持つ先天的資質に大きく左右されるのである。
個人が保有可能なエネルギー量などの観点では圧倒的に魔法の方が優れてはいるものの、その致命的な欠点のいって科学に大きく水をあけられているのが現状である。
今では一部の、特定の職業就業者のみが用いる特殊技能として魔法は認知されており、魔法使いという職業は男性であればスポーツ選手やパイロット、女性であれば保育士やケーキ屋などと並んで人気の高い職業となっている。
とはいえ、魔法技術の存在を危険を考える者もいる。先天的な資質に左右される技術である以上、その危惧は当然のものだろう。
魔法使いと魔法を使えない者との間に遺伝子的な差異は存在しない。
その違いは未だに解明されていないが、ローゼンクロイツ御大の論によれば、両者の間で異なるのは物質界の存在ではなく、星幽界や霊界における霊的存在なのだという。
そして事実、優生学的な価値観を持つ魔法資質保有者の中には自分をヒトより優れた存在、ヒトより進化した存在であると主張している者もいる。
その中でも最も過激なのが、二〇世紀初頭のドイツにその起源を持つトゥーレ協会という魔術結社である。
彼らは自分達を新人類、魔法資質非保有者のことを劣等と呼び、差別や弾圧などを行っている。
トゥーレの構成員はさほど多いというわけではない。しかし魔法資質保有者の大部分が、その思想に少なからず同意しているのは事実だ。
だからといってトゥーレと魔法異質非保有者が正面切って戦争を行っているのかというとそういうわけでもない。開戦の段となれば陰ながら支持している魔法資質保有者も反対派に傾く可能性が高いし、そうでなくとも戦力となりえるほどの魔法使いというものはそう多いわけでもないのだ。
誰だろうと引き金一つで人を殺すことのできる拳銃とは違い、魔法は先天的資質に加え、その習熟が必須となる。とはいえ、充分な習熟を経た魔法使いというものはその存在自体が兵器に匹敵する。
いざ開戦ともなれば、どちらもともに甚大な被害を被るとわかっている。そうした理由が、全面戦争という局面を崩れる直前のところで繋ぎとめているのである。
だがしかし、それは全面戦争にはならない、というだけの話であって、小さなテロリズムといった形で、両者の対立は表れている。
*
子供から大人まで、老若男女を問わない無秩序な悲鳴が地下ショッピングモールに響いていた。
そんな悲鳴に混じってさぞ愉快そうに哄笑するのは一人の少女だ。
少女は悲鳴の中心にいた。
黒を基調としたボンテージを彷彿とさせる衣服は、全裸でいる以上に淫靡な印象を見る者に与えると同時に、少女の整った顔の造作や艶やかな黒の長髪からは、そのあどけない表情や決して豊かとはいえないプロポーションとの倒錯感を感じさせる。
エナメル質の服は赤黒い返り血によってところどころ光沢を失い、その周囲には幾体もの死体が無残に転がされていた。
この惨劇を引き起こした張本人たる少女は何も持っていない。少女が死体の山を積み上げるのに、凶器などという無粋なものは不要だからだ。
必要なのはほんの一欠片の、狂気。
「劣等の皆さん。さっさと滅んでくれない? アンタらと同じ空気を吸ってると思うだけで吐き気がするのよ、本当に。これ私の切なる願いなんだけど。あー気持ち悪い」
侮蔑の言葉を心の底から吐き出して、少女は周囲を見回す。
この地下ショッピングモールには幾つもの出口が存在する。その出口の全てが物理的に封鎖されたのはほんの十分ほど前だ。
それから起こったのが惨劇。
少女が鼻歌を口ずさんだかと思えば、老人の頭がザクロのように弾け飛んだ。
少女が地面を蹴ったかと思えば、妊婦が上下二つに分かれた。
少女が笑ったと思えば、幼児がまとめて潰れて肉塊へと変わり果てた。
僅か十分足らずの時間で、地下ショッピングモールには鉄のような血臭が漂っていた。
「確かにストレス解消にはなるけどさぁ」
そう少女が言うと、その周囲に魔法によって構成された赤黒い光の塊が五つ生じる。
「いるだけで私のストレスが溜まるから結局プラマイゼロよね。っていうかむしろマイナス。やっぱり滅んで」
吐き捨てられた一言を合図にするかのように、光球が放たれる。
それらは迷うことなく一直線に、それぞれ別々の人間へと向かい、命中。人間という生物を肉片という物質へと変換する。
誰一人として抵抗する者はない。否、抵抗した者は既に生者としてこの世に残ってはいない。
殺戮の快感に身を震わせ、少女は嗤う。
少女にとって、これは同胞殺しなどではない。ただの狩りだ。
あるいはもっと単純な、ゴミ掃除。
ゴミだらけの街からゴミを取り去って、綺麗になっていくのを見て喜んでいる。
少女の感覚からすれば、この状況はまさにそれであり、それ以上の何物でもなかった。
サヤカ。漢字で書くと、清。彼女は自らの名付けに従って、世にはびこる劣等を滅ぼし、清らかな世界へと作り変える。
それが彼女の正義の執行。
自らの正義に、酔いしれるように掃除を続けるサヤカは、突然、それまでになかった気配を感じ取る。
魔力。魔法資質保有者が魔法資質保有者たる所以。そうでない者であってもそれ自体は持ち備えてはいるが、外界に影響を与えるように扱うことはできない。魔力を感じ取れるほどに放っているということは、つまりは魔法使いであることの証明でもある。
それが、高速で接近していることにサヤカは気付く。
「!」
魔法少女の表情に、はじめて驚きに近い感情が表れたのもつかの間、轟音が響き人々の悲鳴が更に大きくなる。
天井が穿たれ、土煙が舞う。
サヤカは既にこの突然の闖入者が何者であるのかということに見当をつけていた。この状況で現れる人物など、二人といない。
少しずつ落ち着いてきた土煙の中から、一人の女性が現れる。
それを見た人々の恐慌が収まっていく。中には両手を合わせて拝み始める者までいるほどだ。
どこかセーラー服に似た薄紅色を基調とした服装の女性はサヤカに負けず劣らず整った顔立ちに、やや色素の薄い茶色のポニーテール。優しげな瞳の奥にはしかし、確かな信念の炎が燃え上がっている。
彼女たちが纏っているのは魔法使いの魔力変換効率を上昇させる《法衣》と呼ばれるものである。法衣は人それぞれに適合するものが異なり、その雛形となるのは魂のカタチであると言われている。
魔法資質保有者のほとんどがトゥーレを少なからず支持する中で、それに確固たる信念を持って立ち向かう彼女のことを、人々は《優しき魔女》と呼んだ。
「そこまでです! これ以上非道を続けるつもりであれば……」
魔法資質非保有者の中の高官達でさえ、戦争となり、疲弊することを嫌ってトゥーレのテロリズムに具体的な対抗策を打たない中で、彼女の存在は魔法資質を持たない一般市民にとって唯一の救いであり、そして英雄だった。
「私は、貴女を倒します」
優しき魔女は、その義憤を瞳に宿しながら、サヤカにそう宣言する。
それを見て、サヤカはしかし、淫蕩な笑みを浮かべた。干支一回り分ほど歳の離れているであろう魔女に対して、気負いも敬意も存在しない。
「……非道って、一体何の事かしら」
「この殺戮を非道と言わずに何を非道とするのですか? 人を人と見ないその考えは正すべきです」
強い意志を含んだ魔女の言葉に、サヤカは嘲笑を浮かべて返す。
その口調は容姿と比較すればどうしても、年齢不相応と言わざるを得ないものだった。
「所詮は劣等。私達が豊かに生きるのに邪魔なゴミを掃除しているだけじゃない。アナタもアナタ……何を思って劣等なんかの味方をするの?」
「魔法が使えるとか、使えないとか、そんなことは関係ありません。どんな命も皆、等しく尊いものです。それが何故わからないんですか」
その台詞を、さぞや退屈そうにサヤカは聞き流すと、大きく溜息を吐き出した。
「命が全て等価値、ね……私にはそうは思えないわね」
「貴女方とは一度、ゆっくり話し合う必要がありそうです」
「ふふ……そうだね、アナタにもいい加減ちゃんとわかってもらうべきだし、今日の掃除はこのくらいにしておこうかな」
誘うような言葉を残し、サヤカは光球を形成、すぐさまそれを上方へ向けて撃ち出す。
撃ち出された光弾は真っ直ぐに天井を穿ち、地下から蒼空を拝むことを可能とする。
それによって開いた空隙から二条の閃光が空へと飛び出す。その背にあるのは、法衣の色と同じくそれぞれ黒と薄紅色の光で構成された魔力の翼。
一直線に直上へと向かう二人は地上からおよそ二十メートルほどの位置で上昇を止め、対峙する。
二人の間に流れる沈黙。しかしただ睨み合っているだけではない。二人の中では華奢な彼女たちを兵器以上の危険物とさせる、強力な魔力の奔流が渦巻き、収束し、解放の時を今か今かと待っているのだ。
互いが互いの中で膨れ上がっていく魔力を感じ取っている。
少しずつ、緊張の弓が引き絞られていく。
どれだけ経った頃だろうか、あるいは一瞬だったのかもしれない、限界まで引き絞られた緊張の弦が音を立てず切れる。
発生した黒と薄紅の光がその軌跡を残しながらお互いへと向かい、衝突。
膨大な力と力のぶつかり合いによって、周囲の大気が破裂する。
爆音。
それを開始の合図と言わんばかりに、二条の閃光が震える大気の中を飛翔する。重力に逆らって飛翔するその姿は、まるで妖精のようですらある。
接近、接触。
二人の手にはいつの間にか握られた光の刃。法衣と同じく、それぞれの精神が持つカタチによって最適な形状というものが存在する。
サヤカのそれは禍々しい黒光が構成するシャムシールのような曲剣、魔女のそれはその瞳のように真っ直ぐな長剣だ。
光刃がぶつかり合うたびにじぃ、じぃ、と干渉音が鳴り響き、空間が震えた。
大きく振り下ろされる直剣を曲剣が防ぎ、横薙ぎに振るわれる曲剣の一撃を直剣が防ぐ。
更に三合、四合と、まるであらかじめ定められた剣舞のように攻撃と防御が噛み合い続ける。
十度、それが繰り返された頃、どちらからともなく距離をとる。お互いの間の距離が開く。
「貴女達は、間違ってる!」
「正しいか間違っているのか、決めるのはいつだって力ある者……勝者よ!」
期せずして、それは最初と同じ構図。二人は自らの前面に魔力の光を紡いでゆく。
二人の眼前で膨れ上がった魔力の光塊、その直系は既に一メートル以上。
「……いきます!」
魔女はその言葉に合わせ光を放つ。全力を注いで放たれ、破壊的な威力を持ったそれは、まさしく一条の閃光となってサヤカを襲う。
しかし、サヤカは動かない。眼前に展開した魔力光をもって迎撃するでもなく、ただ射線の上で浮遊するのみ。
怪訝に思った魔女がその意図に気付くまでもなく、小さな声が耳元で放たれる。
「《幻影》」
閃光の奔流がサヤカを覆う直前、その姿が消えた。
まるではじめから、そんなものがなかったかのように。
それは比喩ではなく、事実だ。はじめからあの場所にサヤカはいなかった。
突如として背後に気配を現したサヤカに、しかし魔女は反応しきれない。全力を注いで放った一撃の直後、それだけの余力は魔女にはない。
腹部に一撃。鋭いつま先が何の芸もなく魔女の腹に吸い込まれる。だがそれは疲弊した魔女にとっては充分過ぎるほどの脅威。
魔力という反力を失い、魔女の身体は重力に従って墜ちていく。
落下感を感じつつ、魔女は意識を手放した。
*
優しき魔女、彼女がそう呼ばれるようになったのはそう昔のことではない。
ほんの二年前のことだ。片田舎の町で生まれ育った彼女は、他の少年少女たちと同じように魔法使いという職業への憧憬を抱いていた。
同年代の子供たちがテレビの向こうの作り物の英雄ごっこをする中で、彼女は一人、その姿形だけではなく、本当にそれになろうと努力を続けた。
それが歳相応ではないということは彼女にもわかっていた。だがそれでも、彼女はそうすることを選んだ。
その理由は誰にも、彼女自身にすらわからない。窮地を救われたわけでもなんでもない。ただ、憧憬を持っていただけ。
だというのに、彼女は努力を続けた。
中学時代、授業では基礎英語を習いつつ、彼女は毎日、海外の文献を読んでいた。クリスチャン・ローゼンクロイツの著書である。魔法の原理、作用、全てなど解明されておらず、恐らくは解明されることなどない事柄を知り、少しでも近づけるように、と。
この段まで至れば、それは子供の憧憬などという言葉で済ませられるものではなかった。
高校を卒業した辺りで、彼女はようやくそれを使う。
それまで彼女は魔法がなんたるかを、どのようなものかを学びつつ、しかし決して行使しようとはしなかった。
理由は簡単。彼女は怖かったのだ。
人生の大半をつぎ込んだ魔法という事象に見放されることが。自身にその資質がないと知ることが。
魔法資質というものは希少なもので、十人に一人も持ちはしない。
無論、魔法資質を持たない者の中にも魔法研究者はいる。しかし、彼女が望んだのは魔法使いであって、魔法研究者ではなかった。
故に、恐れた。
だが結論として、その恐れは全く無用なものであったといえるだろう。
彼女にはその適性があったのだから。
そしてその結果として、彼女は魔法使いとなった。誰よりも勤勉にして努力家だった彼女の適性は、他の誰にも劣らぬ至高のものだったといっていい。
その先に、彼女は悟った。
魔法使いと、そうでない者との違いを。
確かに違った。それは魔法が使えるだとか使えないだとか、そんな次元の問題ではない。
同じ人間という種から生まれておきながら、同じ社会で育ちながら、その決定的な考えの違い。
彼女は普通だった。ただただ、普通の考えだった。
だがそれをただの考えから行動に移すことは、勇気と呼ばれるものであった。
遍く命は平等であると、そう思って、彼女――一条伊織は英雄と成った。
*
一条伊織は目を覚ます。
温かなまどろみの中から、その意識を徐々に覚醒させていく。鼻腔をくすぐるのは、甘い、花のような香り。
周囲を見回すと、そこは彼女にとって見覚えのない景色だった。なんということはない、一言で表すならばそれは牢だった。
自分が何故ここにいるのか、何があったのかを記憶の糸を手繰り寄せていく。
伊織の寝起きはそう良いというわけではない。半ば寝惚けたままの意識はその答えを早々に導き出すことを拒んだ。
腹部に痛み。
それによって何が起きたのかを思い出した。
具体的にどこなのかまではわからないが、どういう場所なのかはわかる。何ゆえに自分がここにいるのかも見当はつく。
「私は、あの娘に……」
捕まったのだ。
幻影の存在を見破ることができず、それに向けて全力を放った直後に討たれた。
それを思い出してしまえば、ここがトゥーレ協会の拠点か何かであると想像することは容易だ。
彼の協会は規模が大きいわけではない。だからこそ、今でも社会的に排除されてもいない。
あまりにも規模が大きければ、それは人々に恐怖を与える。魔法使いとなれなかった者は、たとえそれが破滅に繋がると知ったところでその殲滅を行ったことだろう。
だが、現実は違う。
小規模だから、放置さえしておけば当面は被害が及ばないから、と、官僚達は強攻策に出ない。
そもそも、各国政府上層部にはトゥーレと繋がりのある者がおり、密約がかわされているという話とて眉唾と切って捨てることができないほどだ。
「目が覚めたようね」
気がつけば、格子の先に一人の少女の姿があった。
ごく普通の少女だった。まだあどけなさのある顔立ちは整っているものの、街中であればそれだけで判じることはできなかっただろう。
しかし、こんな状況で眼前にすれば少女が何者であるのかようやくわかる。
魔法使いの纏う法衣には様々な効果がある。その中でも特に重要なのが三つ。
一つは魔力の使用効率を上昇させること、これが最大の理由である。
一つは純粋な鎧として。服のような装いであるものの、法衣の防御力は物理的・魔法的に非常に高い位置にある。
そして最後の一つが認識阻害。相手が自分を見ても、それが自分であると認識させないという効力を持つ。その効果があるからこそ未だ世界は、あくまで表面的にとはいえ、平和に保たれているともいえる。
今、少女は法衣を纏っていない。それゆえに、伊織も対峙していた少女の容貌をパーツごとに認識してはいたものの、それと目の前の少女とを合致させるのに僅かながら時間を必要としたのである。
「何のつもりですか」
動揺がないといえば嘘になる。
しかしそれを対敵に見せるわけもなく、伊織は眼前の少女――サヤカへと問い掛ける。
伊織にしてみれば、自分が生きている理由がわからない。
トゥーレにとっての自分は障害でこそあれ、何の利益も生まない。もし自分が敵対組織の存在だというのであれば拷問するなりして情報を引き出すということも考えられるが、伊織はあくまで単身だ。
そんな自分が生きて、こんな場所で囚われていることに対する疑問。
「何の、っていうのはどういう意味?」
本当にわからない、といった様子でサヤカは答える。
「貴女達にとって私は障害……殺されるものかと思っていましたが」
伊織のその答えを聞いて、サヤカは目を開閉させる。
まるで、今更何故そんなことを聞いてくるのか、と言わんばかりに。
「だって、話がしたいって言ったのはお姉さんの方だよ」
そう答えながら、鍵のついたドアから中へと入ってくる。
それに、と前置きし、
「ヒトの命は大切だからね。いくら敵だからってそう簡単には殺せないよ」
「な……」
サヤカの言葉に伊織は絶句した。
そして、理解する。彼女は、彼女たちは、魔法資質非保有者を同じヒトと見なしていないということを。
ある程度は理解していた。ついこの間卒業したばかりの大学時代には周りには差別論者もいなかったわけではない。だがそれでも、これほどまでに見識が違う者はいなかった。無意識の内に小馬鹿にする程度のことはあっても、その辺りがせいぜいだった。魔法使いとそうでない者との差はトゥーレのような極端な者もいるものの、大抵はそんなものである。
だが、彼女は違う。本当に、心の底からそう信じて疑わない。
彼女は邪悪ではない。ただ、純粋。
その言葉に虚飾はなく、真実、彼女は人をヒトと思っていないのだということにサヤカは思い至る。
そして同時に、彼女のような幼い少女に、そのような考えを植え付けたトゥーレに対して怒りを募らせる。
「あぁそうだ。逃げ出そうとしない方がいいよ、無駄だからさ」
サヤカはそう、伊織に忠告する。その視線が向かうのは伊織の右手首。そこには奇妙な形の腕輪が嵌められていた。手錠というほど無骨ではないし、行動の邪魔になるようにも見えないが、かといって自力で外せるようにも見えない。
腕輪と、そして自分の周囲の壁に刻まれた幾何学的な模様を見て伊織はそれが何なのかを悟った。伊織の知るものはこれほどまでに複雑ではなかったが。
魔法無効化。
特殊な陣や術具を用いて対象の魔法行使を阻害する技術である。
壁に刻まれた陣がその効果を作り、腕に嵌められた腕輪がその対象を決定しているのだろうと判断、試しに魔法を使おうとするが、魔力がそれに応じる様子はない。
そうなってしまえば伊織もただの女性、牢から逃げるなどといった抵抗は不可能だ。
「お姉ちゃんはしてきたことがしてきたことだから、トゥーレの偉い人達もさっさと殺しちゃえって言ってたんだけどさ」
「だったら、そうしなかったのは何故ですか?」
「お姉ちゃんだったらきっとわかってくれると思ったから。お願いしたら説得の時間をくれたんだ」
「説得、ですって?」
「そうだよ。劣等なんかを庇おうなんて、もう二度と考えないように説得しようと思って」
少女は、殺戮者とは思えない無邪気な瞳で答える。
「私は……貴女達には屈しません」
「そっか……まぁ、そうだよね。すぐに考えは変えられないよね……」
落胆したように溜息を吐き、少女は自分に言い聞かせるようにして頷いた。
「大丈夫、お姉ちゃんもすぐにわかってくれると思ってるから」
そう言うが早いか否か、少女はいきなり伊織の口を自らの唇で塞ぐ。
伊織はそれに、二重の意味で驚く。一つには少女の唐突な行動に対して、そしてもう一つは、あまりの官能に。
柔らかな口付けだけで一度、少女が舌を入れて口内を愛撫したことで更にもう一度、計二度の絶頂に導かれていた。
じっくりと味わったのか、うっとりとした表情でサヤカは唇を離す。
ようやく終わったと安堵する伊織の内心に反対するように、唾液が名残惜しく糸をひいて落ちていく。
「気持ちよかった? もっとよくしてあげる……お姉ちゃんが素直になるまでね」
サヤカの掌に黒い光が現れる。
法衣は魔法の使用効率を上げはするが、なければできないというわけではない。むしろ認識阻害の意味合いの方が強く、隠すつもりも必要もないこの状況では、纏う必要があるものでもなかった。
禍々しい色彩の光は、少女の掌から離れると伊織の中に埋もれていく。
これまでにない奇妙な感覚を伊織は感じ取り、底知れぬ恐怖感に身を震わせる。
あるはずのない、ありえないはずの感覚。
本来存在しないはずのソレは、伊織がその事実を認めようとしない間にどんどんと膨張し、その存在を主張していった。
数十秒ほど経った頃には、伊織のスカートは内部から押し上げるナニモノかによって膨れ上がっていた。
「私に、な、なにを……」
「言ったでしょ? もっと気持ちよくしてあげるって」
悪戯な笑みを浮かべて、少女は伊織を押し倒した。
触れられるというだけで伊織は微かな快感を感じている。抵抗することなどできはしない。
その手が下腹部へと滑っていき、伊織の下着を脱がしていく。
下着の下から姿を現したのは女性にあるはずもない、男性顔負けのサイズの剛直だった。
驚きとショック、そして空気に触れるだけで襲う快感に伊織は一瞬、思考を凍らせる。
少女は脱がし終えた下着を見て、あどけない顔立ちからは想像もつかないほどの淫蕩な表情で笑う。
「キスだけでこんなに濡れちゃって……お姉ちゃんったら真正のド淫乱なの?」
「ち、違、これは……その……」
言い訳を探して、伊織はその答えに至った。
「これ、この香……」
「あ、気付いちゃった? 堕胎させた胎児の脳漿で描いた陣で生成した魔媚香……嗅いだ者の感度を極端に上げる特上の媚薬だよ」
おぞましき生成法を聞いても尚、伊織を襲う快感は消えはしない。
それどころか、香という転嫁先が見つかったことで、快楽を受けても仕方がないのだという思考が無意識の内にできあがり、より強く快感を感じてしまう。
「じゃあ、一気に本番、行こうか。大丈夫、それはちょっとイッたくらいじゃ終わらないから」
そう言って、サヤカは自身の衣服を脱いでいく。
未だ毛一本すら生えていない陰部からは隠しきれないほどの淫蜜がぽたぽたと床に落ちて染みを作った。
「私のおまんこに、ちょうだい」
「や、だめ……」
まるで商売女のような表情を浮かべて、サヤカは一気に腰を落とす。
男性のそれと比べても尚、巨大なそれを、サヤカの淫裂が苦もなく呑み込む。
伊織を襲うのは殺人的なまでの快楽。本来存在し得ない器官が、本来存在し得ない快感を伊織の脳へと送っていく。
絶頂に次ぐ絶頂に伊織の思考はスパークする。ただただ、されるがままに快楽に耐えるしかない。
伊織の上で自ら喘ぎながら腰を振る少女は何かに気付いたようにいやらしい笑みを伊織に向ける。
「自分から腰まで振り始めちゃって……本当に、ひゃっ、やらしいね、お姉ちゃんは」
女の自分がまだあどけない童女を犯している。
そんな正常なものが一欠片もない状況で、伊織の思考はとけていく。
「ぁっ、ぁっ、んぁっ、あっ、ぁっ!」
不意に伊織は少女が腰の動きを止めていたことに気付く。
今受けている快感は、全て自分が生み出しているものだと。
だが、気付いたところでどうにもならない。少女の嬌声に興奮しつつ、快楽を貪るために伊織は腰を振る。
伊織もサヤカも、どちらも言葉といえるような言葉は発しない。ただ、獣のように嬌声を上げて交わりあう。
それがしばし続いて、伊織は一際巨大な絶頂の波が来たのを悟る。それまで感じていた絶頂とは全く違う、それほどまでの大きな絶頂の予感。
「イく、イく、イくよ!」
「いいよお姉ちゃん、私の中にいやらしいおちんぽ汁注いで、私を犯して!」
はしたなく声を上げて、伊織は最大の絶頂感を受容する。そしてその瞬間、伊織に憑いた擬似肉棒が白濁色の欲望を吐き出す。
びゅくり、びゅくりと擬似肉棒は伊織の欲望の量を表すかのように、凄まじい量の白濁をサヤカの膣内へと注ぐ。
あまりに凶悪な快楽の奔流に、伊織は意識を切り離した。
*
再び伊織が目を覚ました時、既に目の前にはサヤカの姿があった。
「どう? 気持ちよかったでしょ? トゥーレにいれば、あんなのが生ぬるいって思えるくらいの快楽が得られるんだよ?」
あれすらも生ぬるいと思えるほどの快楽、その言葉に伊織の子宮は疼き、淫裂からは愛液が染み出すのを感じた。
「それ、でも……私は、貴女達には屈しない」
意志力を振り絞り、その一言をひねり出す。
「どうしよう。私、説得に失敗したら殺すって言われてるんだよね」
「ぇ……」
トゥーレの人間が非道の極みであることを伊織は知っている。
もしサヤカが自分の説得に失敗すれば、トゥーレは躊躇うことなく彼女を切り捨てることだろう。
で、あるならば、今は口先だけでも説得に成功したと思わせる必要がある。
伊織はサヤカに罪はないと思っている。勿論、人々を殺戮した罪がないことにはならないが、それはそういった教育を受けたことが原因だ。
きちんとした場で、きちんとした教育を受ければ、彼女は必ずや贖罪をするだろうと、そう信じていた。
だから、サヤカを死なせるわけにはいかない。
「わ、わかったわ」
「え? お姉ちゃん、わかってくれたの?」
途端に明るくなるサヤカの表情を見て、伊織は頷いた。
少女を救うために、口先ばかりの言葉を口にする。
「……今まで、偉大なるトゥーレの行いを邪魔し続けて申し訳ありませんでした」
「反省してる?」
「はい。深く反省しています」
「劣等なんてくだらないモノ、もう護ろうなんて思わない?」
「はい。思いません」
「じゃあ、私と、トゥーレ協会に忠誠を誓う?」
「はい。この生涯を賭して、尽力します」
面従腹背。サヤカの問いに口先で機械的に答えながら、その内心で伊織は憤怒の炎を燃やしていた。
「今の言葉に二言はない?」
一瞬、間を置いて、
「はい」
伊織は深く頷いた。
だが、それが過ちだった。
黒い光が床から、壁から、天井から、陣の書かれた五方向全てから浮かび上がり、伊織の身体を包んでいく。
黒色の光は、まるで綿が水を吸うかのように、伊織の中へと染み込んでいく。
不思議なことに不快感はない。それどころか、全身を絶頂の瞬間のような強烈な快楽が覆う。
「ふ、ぅふ……アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
甲高いサヤカの嘲笑が伊織の耳に入る。しかし今はそれどころではない。
「約束は守ってもらわなきゃいけないからちょっと細工をしたんだ。でもお姉ちゃんも同意してたから何の問題もないよね」
心が、侵されていく。
頭の中に腕を突っ込まれてかき回されているかのような感覚。
思考が一度まっさらに消え、その後に再構成されていく。
「一応教えておいてアゲル。この魔法はね、約束を守らせる魔法なの。もっと言えば……そうだね『発言者が口にした言葉を本心にする魔法』かな。通称嘘のつけない魔法」
それはそうだろう。仮にその時嘘だったとしても、この魔法が発動してしまえばその嘘は嘘ではなくなっているのだ。
過ちに気付いたところで伊織にはもう何もできない。
「いくら魔法が便利な技術とは言っても限界はある。特に精神に干渉するものはかなり難しいものだけど……それも魔法陣上で、相手の承諾を得た状態であればできないことじゃないわ。それを可能にしたのかこの魔法」
伊織はそれで理解する。魔法無効化のものにしてはあまりにも複雑で無駄が多いと思っていたこの陣は、この契約遵守の魔法のための陣と複合されたものだったのだ。
通常、二つの陣を組み合わせればお互いの効果をどこかで阻害してしまう。しかし法則に沿って、お互いの邪魔にならないように迂回させて陣を作れば魔法効果は阻害しあうどころかその効果を高めあうことすらある。
だが、それを今になって理解したところで伊織には関係なかった。いや、どうでもよかったと言うべきだろうか。
少女を救おうと告げた一言が、真実となろうと伊織の心を侵していく。心にもなかった一言が、伊織の本心とすげ変わっていく。
伊織の心には既に魔法資質非保有者、もとい劣等に対する慈愛など欠片ほども残ってはいない。
あるのはただ、自分が今まで劣等などというものを護っていたという嘔吐感さえ覚えるほどの嫌悪感と、それを掃除しようと活動していたトゥーレの邪魔をしていたことに対する押し潰されそうなほどの罪悪感。
「ねぇ、お姉ちゃん」
サヤカが嬉しそうに、笑みを浮かべながら伊織を呼ぶ。
伊織はそれに笑顔で応え、言葉の続きを待つ。
「一緒にお掃除、行かない?」
言葉が意味する行為は今更問いただすまでもない。
だが、だからこそ伊織は、
「喜んで」
そう言って、酷く淫蕩な笑みを浮かべて頷いた。
*
それから、半年の時が経ったある日。
街は阿鼻叫喚の図と化していた。
二人の悪魔が何か行動をとるたびに一つ、ないし複数の命が散っていく。
老若男女区別はない。誰しもに対して平等に、二人の悪魔は死という結果を与えていく。
一人はサヤカ、そしてもう一人は伊織だ。
サヤカの法衣は以前と変わらない、ボンテージのような黒の法衣。だが、伊織の法衣はそれまでのものとはデザインが根底からして異なっていた。
色は清楚な印象を受けた薄紅色ではなく、鮮血を想起させる真紅に。セーラー服を彷彿とさせるデザイン自体は変わっていない。しかしところどころ、細部が異なり、露出度が非常に高い。
冷徹な表情を浮かべ、サヤカが劣等を掃除していく。妹分であり、主人でもあるその動きに伊織は陶酔の表情を見せる。
一人殺すたびに、伊織は絶頂を迎えていた。
「うふふ、うふふふふふ」
それまででは到底考えられなかった。そもそもそんな考え自体が存在しなかった。
だが今は、伊織は快楽を得ている。以前は確かに大切だと思っていた人々の命を奪うことによって。
二十分もすれば、既に生きている者はほとんどいなくなった。
微かに残った命の反応を感じ取り、二人は向かう。
そこにいたのは一組の少年と少女だった。歳の頃はサヤカよりも更にいくらか若いだろう。
兄妹だろうか、怯える妹を、兄は庇うようにして前に出る。
「これで最後かな」
サヤカがそう告げ、魔力を紡ごうとした瞬間、
「待ってください」
伊織がそれを制止した。
「わかった。その子たちはお姉ちゃんにあげるよ」
「ありがとうございます」
ひどく淫蕩な笑みを浮かべて、深く礼を述べる。
伊織はサヤカに忠誠を誓っても、しかし劣等を完全には嫌わなかった。
くだらないものであるとも、脆弱なものであるとも思ってはいたが、彼女に浮かんだのは人が小動物に対して抱くような愛玩の思いだった。
とはいえ勿論、サヤカを止めたのは兄妹を助けるためなどではない。
魔力が収斂し、霧のような存在を作り出し、幼い兄妹を覆う。数秒の間、伊織はそれを見つめ、満足したように魔霧を消す。
「それじゃ……」
伊織の法衣から、不可思議なモノが飛び出す。触手である。
イソギンチャクのそれを五センチ径ほどに巨大化したようなそれは兄妹それぞれを束縛した。
二人の衣服を手慣れた様子で破っていく。
兄の方は顔を紅潮させその年齢のものとは思えないほどに大きく肉棒を屹立させていた。自慰を知っているかも怪しいものだが、触手による拘束がなければ自分で扱きだしていてもおかしくない。
妹の方も同様に、頬を紅潮させあまりにも幼い淫裂から蜜が止め処なく染み出している。
当然、それらは伊織の魔霧が原因だ。あの魔霧は対象を発情させ、その肉体の構成すら変えてしまうまさに魔の法。
「いただきます」
一言と共に、伊織は兄のいきり立った肉棒をその蜜壷に迎え入れる。容赦などない。ただただ自分が快楽を得るために腰を振る。そして少年の方も、今この瞬間の快楽以外何もいらないと言わんばかりにただ一心に腰を振る。
同時に、伊織は触手を伸ばし、妹の未熟な淫裂へと押し当てる。とても入れられた大きさではないが、そんなもの関係ないと無理矢理こじ開け、ピストンを開始する。少年と同じように、少女もただ一心に腰を振り始める。
三人の嬌声が、凄惨なる殺戮の現場に響く。
しばらくそれが続いたかと思うと、兄の方が伊織の中で果てる。伊織も同時に果てたらしく、一際大きな嬌声を上げ、妹の方へと欲望を吐き出す。
破裂するのではないかと思うほど大量の精液を吐き出して、ようやく伊織は満足げな笑みを浮かべた。
しかし、妹の方はまだ満足していなかったらしい。既に吐き出せる全てを吐き出した兄の肉棒をその幼い蜜壷で呑み込む。
それを見た伊織は一つの趣向を思いつき、サヤカへと耳打ちする。
「ふふ、面白いね。いいよお姉ちゃん、やってみて」
「はい」
兄妹同士のまぐあいの場に、描かれていく魔方陣。
「次にイッたらその兄貴の方は死ぬよ。死んで、その魔力の全てをアナタに注ぐ」
サヤカが告げる。それはトゥーレが開発した新しい魔法だった。
他者の生命力を奪い取り、魔法資質を強制的に引き出す術。
「そうなったらもっと気持ちよくなれる。そんなゴミは捨てて、もっと気持ちいいことができる」
その言葉に対して、少女は答える。
「きもひぃのがいひぃ!」
「だったら……そのゴミをさっさと犯しなさい」
「はーい!」
無邪気な少女の声が、死体だらけの広場に響いた。
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