今回の出来事で、貞彦は様々なことを感じた。
 過去を払拭するでもなく、背負っていくでもなく、思い出として持ったまま、共に進む道を見つけた。
 そして、自らすべきことが、したいと思えることが見付かった。
 その道を進むには、やらねばらないことがある。
 つけなくてはならないケジメが、ある。
 だから、貞彦は全員と話そうと、その必要があると感じていた。
「ウズメ」
 何故か屋根の上で寝そべっていたウズメに、貞彦は声を掛けた。
 全ての始まりで、ある意味で元凶でもある少女。
 色々なことが吹っ切れて、少なくともウズメを恨むと言う選択肢はなかった。
 だとしても、まず最初に彼女に話しておかなくてはならないと、そう思っていた。
「……身体の方はもう大丈夫なの? 羅刹の奴にぼっこぼこにされてたけど」
「正直、その辺りの記憶は大分曖昧でな……彼女の顔もよく思い出せん。身体の方は少しダルさは残っているが、もう異常はない」
「そう」
 どこか無気力気味に、ウズメは答える。
 数秒の沈黙。
「俺は、宮並に行くことにした」
 答えがないことを答えだと理解して、貞彦は言葉を続ける。
「俺は、羅刹に恩を返したい。間違いを間違いだと気付かせる機会を与えてくれた彼女に。そして、そのためには力が不可欠だ。彼女が必要とした時に、ささやかでも手を貸すことのできる程度の力が。そのために、俺は自身の力を磨きたい。そのためには宮並に行くのが一番だと、俺は思った」
 記憶は曖昧だ。ただ自分のしでかしたことの概要と、そして羅刹の圧倒的な力だけは覚えている。
 恩を返したい。そう思っても、今の自分ではそれに足るだけの力がないとわかっているから。
 だから、力が欲しい、と。
 今まで望んでいたのとは、また違う理由で、また違う力を、貞彦は望む。
「そう」
 返ってくるのは、素っ気ない返事のみ。
「すまない」
 それを破るようにして、貞彦は謝罪の言葉を告げる。
「ごめんなさい合戦の続き? なんで私に……」
「俺はもう、箱庭を広げない」
 それは、ウズメとの契約を破棄するという意味。
「箱庭は、管理できて箱庭だ。俺は喪った穴を埋めようと手を伸ばして、手に入れかけていたものまで失うところだった。だから俺はもう、箱庭を広げない。お前を楽しませることは、できない」
 ウズメは無言で、目を閉じたまま。
「期待に沿えなくて悪かったな。力は返すよ」
「馬鹿」
「……何?」
「馬鹿って言ったの!」
 何故か、ウズメは突然キレたかのように立ち上がり、
「楽しませることはできない? 期待に沿えなくて悪かった? 自分を過小評価するのもたいがいにしなさいよ! 私は、楽しかった! アナタと一緒にいて、サツキや、アヤノや、リオと、数日だけだけど一緒に暮らして、私は今までのどんな時間よりも楽しかった! アナタは、アナタの生き方は、私を、本当に楽しませてくれたんだよ……?」
 初めてだった。
 こんな風に、ウズメが感情を剥き出しにしているのを見るのは。
 今までも、楽しそうに笑っていたり、悦楽に腰を振っているのを見たことはあった。それが偽りの感情だったとは思わない。
 ただ。
 ウズメは泣いていた。涙を流して、訴えていた。
「……フザケないで。私が楽しめる場所は、サダヒコのいる所なの! 私は、サダヒコがどこに行くって言ってもついていくからね! 拒否権はないからね! 力を返す? 何を言ってるの? 私はサダヒコに守ってもらうつもりなんだからね? そのために、何で力を手放すの?」
「拒否権はない、か……そうか……」
 はは、と貞彦は笑って、
「じゃあ、仕方がないな。一緒に、来てくれるか?」
「サダヒコが嫌がっても、ついてくよ、私はね」
 そう言って、ウズメは貞彦が今まで見た中で、一番の笑みを浮かべた。





「皐月」
「色々、あったよね」
 思い返すように、皐月は小さく言った。
 貞彦が次に選んだのは皐月だった。
 最も古い友人。しばしの時を開けて、ある程度の関係の違いはあれど、再び近しい存在となった彼女を。
「あれからまだ一週間くらいしか経ってないのに、なんだか……ひっくんは変わったね。良い意味だよ?」
 あれから、というのはウズメと出会って、今回の全てのことをひっくるめてだ。
 あまりにも短い。短すぎるこの数日は、それでいて異様なほどに濃密でもあった。
「そうか……変わった、か」
「うん」
 無音。
 言葉はなく、しかし居心地が悪いというわけでもない。心地のいい無音。
「何か、言いたいことがあったんじゃないの?」
 見据えてくる瞳に、貞彦はふぅ、と貞彦は息を吐き出す。
「……お前に隠し事はできないようだな」
 微笑を浮かべ、
「俺は、宮並に行こうと思ってる」
 自らの決意を告げる。
「宮並? 宮並って言うと……なんだっけ。蒼海先生の実家のあるところ、だっけ?」
「それもあるが、そんなこと以上に、宮並は関東における術式のメッカだと言われているらしい」
 貞彦は言葉を告げる。
 自らの、その決意の意図を。
「俺は、羅刹に恩を返したい。失いそうになったものを、失わせないようにしてくれた彼女に。そのために、俺は力を求める」
「良いと思うよ。ひっくんがしたいようにすれば、それが一番いいと思う」
 いつも通りの、柔和な笑みで皐月は貞彦の選択を受け入れる。
「頼みがある」

「頼み? ひっくんが頼みなんて珍しいね。何?」

「一緒に、来てくれないか?」
「ぇ……?」
 貞彦の言葉に、皐月は驚いたように目を瞬かせ、
「えっと、てっきりそのつもりで話してくれたんだと思ってたんだけど」
「何?」
「一緒に宮並に行くから、その上で何かお願いがあるんだと思ってたんだけど……違うの?」
 嘆息。
「そう、か」
 笑い、
「俺の進むべき道が、進もうとする道が、開けてるかどうかだってわかっちゃいない。それでも、一緒に来てくれるか?」
「もちろんだよ。私はひっくんのこと、大好きだから。どれだけ大変でも、一緒にいたいから」
「……今まで言ってなかった分、一度だけ清算しておくぞ」
 息を吸い込み、
「ありがとな、皐月」
 告げた言葉に、皐月は嬉しそうに微笑んだ。





「さて、次は……」
 階下へと向かう。
 目的の相手はキッチンにいた。
 何をしているのか判別しがたいところだったが、キッチンにいるということは料理をしようとしていたのだろう。恐らくは。
 そう推察しておいて、貞彦は苦笑する。
「料理はちゃんと習ってからにしろと言ったろうに」
「申し訳ありません。ですが簡単なものであれば、と思いまして……まだご主人様も体調は万全ではないでしょう? おじやならば……と」
「考え方は悪くないんだろうがおじやを作ろうとしてその惨事には普通ならん」
 さて、と呼吸をおいて、
「本題だ」
 告げる。
「俺は、宮並に行こうと思ってる。アッチの大学に進学して、その場で術式の勉強をしていこうとな。そしていずれは、羅刹に恩を、ほんの僅かしか返すことはできないだろうが、それでも出来る限りの恩返しを、したいと思ってる」
「そのために宮並に留学、ということですか」
「あぁ。お前にも、謝っておかなくてはならないな。自らを抑えることができず、あまつさえ傷つけようとした。本当に悪かったと思っている」
 そう言って頭を下げようとすると「いえ」という否定の言葉がかけられた。
「俺は間違っていた。単純な意味でも、それだけではなく、様々な意味でも。だから、契約は無効だ。俺の所有物である必要はない。いつまでも、間違った馬鹿野郎の元にいる必要も、ない」
「いいえ」
 再び、否定の言葉。
「ご主人様は、以前私に言いました。押し付けではなく自らの思考の末に辿り着いた結果ならば、否定しない、と。私は今、自分の思考の上で、ご主人様の所有物でありたいと、そう思っているのです。私を、血の枷から解放してくださったご主人様のモノであり続けたいと」
 そこまで告げても。
 間違った、あまりにも間違った自分に、尚。
 彩乃は忠義を尽くしてくれる。
 ならば。
 自分が取るべき態度は一つしかない。それが正しいのか、それとも間違っているのかはわからない。
 誰にも、わからない。
「いいだろう」
 尊大に、彩乃の言葉を肯定する。
 いずれ、彼女が忠義を尽くしてよかったと、そう思わせることができる主となるために。
 正しい選択をしたのだと、そう感じてもらうために。
「俺は宮並に行く。お前もついてこい」
「ご主人様の、仰せのままに」
 そう嬉しそうに言って、彩乃は恭しく頭を下げた。





「梨緒に……美樹もいるか」
 襖を開けると、千堂姉妹が談笑しているところだった。
 丁度良い、そう思って貞彦も畳に腰を下ろす。
「まず美樹」
「うん」
「まずは、ありがとう、と言っておく。お前の助けがなければ、俺はアイツらを手にかけていたかもしれない」
「私の力なんて微々たるものだったし……それに、感謝するなら助けて、って言いに来た皐月に感謝して」
「そんなことはわかってる。だが、お前がいなければどうなっていたかわからないのも事実だ。だから、何度でも言おう、ありがとう、と」
 美樹は貞彦の、まっすぐな感謝の言葉にどう対応していいのかわからないといった様子で顔を赤らめる。
「と、友達が困ってたら、助けるのは当然のことでしょ?」
「友達、か。お前はまだ、俺に対してそんなことを言うのか」
 美樹は貞彦の言葉を、否定するでも肯定するでもなく、ただ自然に言葉を続ける。
「まぁ、一般的に考えれば酷いことされたっていうのも事実だけど、なんていうかね、私はそんなに気にしてないし、一番の被害者である朝倉さんが気にしてないって言ってるのに、私が被害者ぶれないでしょ?」
「それはまた……別の話だろう?」
 うぅんと首を横に振り、
「同じだよ、同じ。何にも変わらない。まったく、責任なんて感じるんだったら最初からやらなきゃいいのに」
「こう面と向かって言うのもどうかとは思っているが、尚美に関するものはともかくとしてお前に対する陵辱行為に対してはどうにも……反省する気が起きないというか、な」
「……本当にそれは面と向かって言うことじゃないわね。まぁ、気にしてないって言った以上、色々と言えないかな」
「そんなで、いいのか?」
「いいの。まぁなんか気持ち悪いものに拘束されてたりはしたけど、それでも……」
「だってお姉ちゃん、ご主人ごふっ……!」
 話に加わってきた梨緒を、ラリアットで沈黙させる美樹。
「一応梨緒は病み上がりだろう。というか何でラリアットをかますか」
 病み上がりといっても、その原因は貞彦なのだが、この様子を見ている限り謝る空気ではない。
「梨緒、余計なことは言わない」
「えー? どうしよっかなぁ」
 悪戯めいた表情で笑う梨緒に、美樹は拳を見せつける。
 尋常ではない殺気を梨緒も感じ取ったのか、何事もなったかのように顔を背けた。
「ねぇ、貞彦君」
「ん? 貞彦君?」
「な、何? 良いでしょ、君だって私のこと美樹、って呼び捨てにしてるんだから!」
「いや、別に構わないが……あぁそれと、感謝の他に一つ。伝えておこうと思ったんだ。これからどうするかということを」
 何故唐突に、と思いつつも、わかりはしない回答を求めるのを諦めて、元々の目的を切り出す。
「俺は、宮並に行こうと思う。アッチの大学に進学して、術式のメッカと呼ばれるその地で、術式を学びたい。そしていつか、羅刹に恩を返せればいい、そう思っている」
 そう告げると、美樹は感心したように頷いて、
「そっか……良いんじゃない? 良かったわね、進みたい道が決まって」
 そこまで言って、悩むように額にしわを寄せる。
「ねぇ」
 と、思いついたように、恐る恐る、といった様子で、
「もし、君が私にしたことに対して、私が補償を求めたら、どうする?」
「……ある程度の範囲であれば、応じよう」
 先程とはいささか異なる言葉に、意外に思いつつも応じると、
「なら、一つだけ良いかな?」
 美樹は意を決したように、
「私も、一緒に宮並に行きたいな」
 我儘が通るかを案じる子供のような表情で、そう言った。
「それは、だが……」
「え? ズルい! お姉ちゃんそれはズルいよ! ついていくなら私の方が先取権があるはず! 被害者ぶってそんな要求しないの! 私もついてくー!」
「一応被害者なんだって! ってそういえば梨緒、アンタあのときは散々好き勝手にやってくれたわねぇ!」
「あ、ちょ、ゴメっ、ごめんなさいっ! つい調子に乗って……!」
 コントを始める二人を見て、貞彦は笑う。
 コントとは言っても、美樹の拳は本気にしか見えないのだが。
「まさかそんなことを要求されるとは思わなかったがな……構わない。あぁ、そんな程度のことで良いのならば構わない。歓迎する」
「じゃ、仲直りの握手。ね? これで全部清算っ! 改めてよろしくね、貞彦君」
 手を握って、気付く。彼女の手がとても温かく、そして小さいことに。
 その小さな手に、自分は救われたのだと。
「私も改めてよろしくね! おにいちゃん!」
「おにいちゃんだ?」
「だってお姉ちゃんも呼び方変えたでしょ? いつまでもご主人様って言ってるのもなんだかよそよそしいし、ね? おにいちゃん!」
「……よそよそしい、のか?」
 梨緒の横にいる美樹へと視線を向けると、
「……梨緒のセンスは本当にわかんないわ」
 そう言って、美樹も笑った。





「もう寝てなくていいの?」
「……あぁ、むしろお前の方が寝ているべきだろう。起き上がらなくていい」
「私の方は大丈夫だって言ったでしょ?」
 最後に貞彦が来たのは尚美の部屋だった。
 謝らない。ただ感謝する。そうは言ったものの、何か償いたいと思ってしまうのは仕方がないだろう。
「これからどうするつもりか……ちゃんと、全員に話しておこうと思って。尚美が最後だ」
「どうするつもりなの?」
「俺は、宮並という街に行こうと思ってる」
「宮並?」
「関東における術式のメッカ。そう呼ばれているらしい」
 尚美は術式の存在を全く知らなかったのだという。とはいえ、こう巻き込んでしまっておいて秘匿するのも不可能ということで、ウズメや美樹の説明によってその存在については理解したようだが。
「そこに行って、どうするの?」
「とりあえずはそっちの大学に進む。あとは下宿して、術式を学ぼうと思っている。いつか羅刹……俺を止めてくれた、彼女に少しでも報いるために」

「一緒に行っても、いい?」
「え……?」
 意外だった。
 皐月はついてきてくれると思っていたし、彩乃や梨緒もそうだ。
 ウズメや美樹は意外ではあったが、尚美のこの申し出はそれ以上だ。

「なん、で……?」

「救われたのは私も一緒だから。その、羅刹さん? 彼女に恩があるのは、君だけじゃない。それに、私もどうしようか悩んでたんだ」
「悩んでいた、何を?」
「嫌なことを思い出させることになると思うけど、修司が亡くなって、父さんと母さんがこの街に居づらくなって私を連れて遠くに引っ越したのは知ってるでしょ?」
「あぁ」
「この街に戻ってきたのは、貞彦君と皐月ちゃんに謝ろうと思ってたからなんだ。そのためのけじめとして、父さんと母さんには半ば絶縁するみたいな形になったから……本当は、もっと早くそうするべきだったよね。でも、あんな人たちでも私を今まで育ててくれたんだから、って思うと決心がつかなくて」
 それは、決して思い付きではできないことだろう。
 本当に、本当に、彼女が悩んで、そして何よりも修司のことを、自分たちのことを考えていてくれたのだと言うことを思い知らされる。
 だが、それを知っても貞彦は謝らない。
「ありがとう。修司のことを、俺たちのことを考えて、悩んでくれて」
 それに、と尚美は言って、
「君だけで行くとなると新天地で色々と大変でしょ? そういうのを助けられるかもしれないし」
「あ〜……その点については、一人ではないんだ。何故だか知らんが全員ついてくると言ってくれてな……」
「そうなんだ。それなら、寂しくないね。今までも一人暮らしだったんだからあまり関係ないかもしれないけど……それでも家計のやりくりは私の方が適任だろうし」
「……あぁ、頼りにさせてもらう。ただ……いいのか?」
 その確認の中に込めた意味を、尚美は理解したように、
「うん。ありがとね、貞彦君」
 頷いて、尚美は笑顔を見せた。





「まさか……全員で行くことになるとはな」
「っていうかひっくん、皆で同じ大学に行くのはいいんだけど、試験とか大丈夫?」
「……もちろん、まずは受験勉強からはじめるぞ」
 貞彦と、皐月と、彩乃と、美樹と。四人がお互いにわからないところを教え合い、尚美も家庭教師のようについて勉強を見てくれた。
 元々、貞彦は授業を聞いていないだけで成績が悪い方ではない。皐月はそれなりに良いし、彩乃は学年でもトップクラスだ。何故一般常識に疎いのかはわからないが。
 問題は美樹で、剣道のスポーツ推薦で決まっていた大学を蹴ったのだった。結果として、それほど勉強していなかった美樹が最も苦戦することになった。
 時に梨緒の勉強を五人がかりで見たり、そしてウズメは勿論手伝うことなく家の中をふらついたり、勉強の邪魔をしたりとしていたわけだが。
 とはいえ。それが苦痛だったかと言うと、それはまた別の話だ。 
 楽しかった。
 ただひたすらに、楽しかったのだ。
 一緒にいるだけで、何を面白いことをしているわけでもない。ただ一緒に勉強をしているだけだったと言うのに。
 それでも、皆が皆、笑顔を絶やすことはなかった。
 その結果として。
 貞彦、皐月、彩乃、美樹の四人は館森大学に。そして梨緒は蒲原学園へと、全員が志望校への合格を手にした。
 そして何故か、本当に何故だかはわからないが。
 貞彦たちと同じ大学に、ウズメも合格したのだった。
 そうして宮並でも新たな騒動が起こるわけだが。

 それはまた、別のお話。

 To be continued...?


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