〜第漆話『蒼海雫』〜


「蒼海、雫……だと?」
「えぇ」
 貞彦の漏らした言葉に対する短い肯定の一言と共に、少女――蒼海雫が駆ける。あるいは、跳ぶ、というべきか。
 静止状態からの瞬間加速は、舞踊の動き出しにも似た流麗さと、爆発に似た荒々しさの共生する美しい動きだった。
 加速していく思考の中、蒼海の手に流体が生まれ、収束していくのが見える。それ・・は美樹にとっての限界に近い知覚加速の中にあっても尚、その機微を捉えることの適わない驚くべき速度で形状を変え、一振の巨鎚と成る。
 迎撃の動きをとったのは美樹。術具形成も間に合わないと見るや、両掌に自らの得意術式である爆発の術式を乗せ、突き出す。
 流体鎚と爆裂の拳が激突、巨大な炸裂音が耳朶を打つ。
 戦端は開かれた。
 これは決闘。それも命や名誉を懸けたものではなく、強者に胸を借りることで自らを磨くための戦い。
 蒼海が放った初手に、美樹は爆掌という一手を持って返答した。
 ならばこれは、自分と蒼海との戦いだ。
 美樹は術士同士のしきたり・・・・誇り・・というものに対して無頓着にある。それは彼女自身の性格によるものや、千堂がそれほど大きな家名ではないということもあるが、彼女に術式戦闘を教えた蒼海霞の影響が大きい。
 しかし、この場は大切なものを懸けた、負けることのできない戦いというわけでもない。そんな美樹であっても、模擬戦ともいうべきこの場で、多勢に無勢と勝ちを取りにいこうなどとは思わない。
 それ故に。
 美樹は術式を展開する。周囲に生まれるのは直撃したところでせいぜい、数メートル弾き飛ばされる程度の空気の爆発。
 それらが貞彦の、ウズメの、彩乃の、それぞれの直前へと発生し、爆ぜる。隠す気もなく、わざと・・・発動を遅らせた爆裂の気配に三人はそれぞれ反応速度の違いはあれど、後方へと飛び退いた。
「美樹さん、何を……」
 わけがわからないと言いたげに言葉を漏らす彩乃に、美樹は自らの意図を伝える。
「お姫様に舞踏ダンスのお誘いを受けたら、応えずにいるのは不敬でしょう? そして、お誘いに応えておいて、他の誰かの誘いに乗るのも、ね」
「成程、な……確かに初撃に応じたのはお前だ。この戦いはお前に譲ろう。あちらさんもお前を知っているようだしな」
「いやさ、戦いを占有するのはまだわかるんだけどね。だったら口で言ってくれないかなぁ……」
「そういうことでしたか……てっきり乱心なさったのかとばかり」
 三人が三人、異口同音に納得を示す。
「ごめんごめん、つい、ね。間に合いそうであれば次から気をつけるよ。さて……と」
 改めて、蒼海へと向き直る。充分な隙だったはずだろうに、追撃はない。
 その理由を、わざわざ問うことはない。隙をついてまでして勝つ必要は、彼女にはないのだ。
 あるいは、こう表現しても良い。隙などつくまでもなく、いつでも彼女には勝負を決めることが出来るのだ、と。
 貞彦もウズメも彩乃も、恐らくまだ気付いてはいないだろう。だが、美樹には感じ取れた。たった一合のぶつかり合いをもってして、彼女の強さが。そして、あくまでそれが、ほんの一端に過ぎないことも、また。
 だがその一端に触れて、美樹の術士としての、あるいは競技者アスリートとしての好奇心が刺激された。
 美樹は思う。その強さに、その真奥に触れてみたい、と。
 右手に干渉力を集中し物質形成ジェネレイション。思い描くカタチは幾度となく手にしてきた自らの得物。余剰干渉力光を伴って収束するそれは、身の丈を超えるほどの長刀。
 生成された、ただの長刀に流し込むのは自らの精神。それによって、生み出されただけに過ぎないただの刃物は美樹の術具という属性を得る。
 精神を通した・・・それは自らの一部とすらも言えるものとなる。
 神器。術士が生み出す、もう一つの自分のカタチ。
 外界への干渉と比べて内界、即ち自己という領域の内部への干渉は比較するまでもなく容易い。神器は物理的な得物として用いられるだけではなく、術式干渉の中間媒体ともなる。
 その存在を確定させた神器を構え、
「行きますッ!」
 足下に爆発の術式を展開、その衝撃を上乗せして、今度は美樹から跳び込む。
 再びの激突。交錯の瞬間、美樹は爆裂を展開する。
 爆風が生まれる。
 それを追い風に両者は大きく後ろに下がる。
 衝撃に、流体鎚の一部が弾け散った。美樹の手にもかかった無色無臭のそれは、
「水……?」
 水は、大気中にも多く、組成も単純で操作や調達が容易であることから術式の媒体としてはメジャーなものだといえる。
 流体であり、かつ扱いやすい密度であることから、その汎用性は様々な術式媒体の中でも群を抜いている。
「水遣い、か……」
 美樹の属性である《爆発》は、四大元素や陰陽五行の属性に当て嵌めた場合《火》の属性となる。
 遠い昔に定められた概念的な属性が、必ずしもあらゆる局面において正しいということはない。五行においては水克火、水は火を消すとされている。火は水に消されるだけでなく水を蒸発させることもあるし、更に言えば熱量操作は火の属性であり、氷結の術式も同様に火属性に括られる。
 純粋に炎を生じさせる火炎術式であれば確かに水には弱いものの、美樹のそれは派生系統たる爆発であることもあって、一方的に弱いというわけではない。
 そのため、現在では術式の詳細属性を見ずに大別のみでその相克関係を見ることはできないと言われている。
「でも」
 彼女、蒼海雫は確かに水を媒体に術式を使っている。速度や精度は驚愕に値するものだが、それが彼女の属性であるとは限らない。
 流体操作の属性であれば四大元素に大別して《風》と《水》の両属性にまたがるし、あるいは彼女の属性は運動操作であり、水自体は属性とは関係のない汎用術式で生み出しただけという可能性もある。
「爆発の属性、か」
 独白のような、蒼海の呟き。
 相手の属性がわかれば、術式を通して生み出す現象の起源や限界も見えてくる。それ故に、属性を一方的に知られることは大きなアドバンテージを相手に与えることとなる。
 美樹の術式は手の内を明かしやすい。それは美樹の弱点だと言える。
「よかった」
 気付けてよかった。
 実戦であればそんな余裕はなく、ただの鍛錬であればそれほどの必要もない。
 実戦に近く、しかし心に余裕のある模擬戦を行ったからこそ気付くことができた。
「攻撃、防御、反動を利用した加速や加圧……汎用性の高い良い術式ね。ただ、まっすぐ過ぎる・・・・・・・よ」
「ッ!」
 術式属性が気付かれるのは仕方がないと思っていた。だが、その用法までもたった二度の交錯で読まれるとまでは思っていなかった。
 強い。
 交錯をするたびに、言葉を交わすたびに、その強さを噛み締める。
「実戦で使うなら……」
 歩調の読めない動きで蒼海は動き出す。開いた距離は十メートル近い。
 気付いた時には蒼海の歩みは疾駆と言っていいものとなっていた。見えない加速ともいうべき自然な変速に息を呑みつつも、右手の得物を一振。
 緊、と。響いたのは金属質な高音。
 蒼海の持つ水鎚はその姿を半諸刃の直刀へと変質させていた。それは羅刹をはじめとした奔放、放縦の無双に連なる者が好んで用いる両刃曲刀に似て、しかし異なるもの。小烏と呼ばれるものだった。巨鎚から転じて、余った体積は球体となって彼女の後方に浮かんでいる。
「もっと工夫をした方が良い」
 二人の戦域を包むようにして、美しい輝きが舞っていた。
 それは美樹が紡いだ爆破領域の術式。輝く粉塵にも見えるそれらは、爆発のだ。
 広がった爆破の粉塵は、更なる干渉力を注ぐことによって美樹の任意で局所的から全域に至るまで自在に爆発させることができる。
 局所破壊力であれば、より高い威力を持ったものは美樹の術式の中にも存在する。だがこの術式領域は、まさしく蒼海の告げた通り、攻、防、姿勢制御と一つでこなす汎用性の高い術式である。
「忠告、ありがとう」
 その実力の差は歴然だ。
 二度の交錯、彼女から仕掛けたものも、美樹から仕掛けたものも、恐らくどちらでも、彼女は勝負を決めることが出来たはずだ。
 それをしなかったのは慢心だとも言えるが、それ以上に、余裕。必勝を期する戦いではなく、教えを請うているからこその、手心。
 感嘆し、感謝の気持ちを得ると同時に、それとは全く別の、一つの感情が生まれる。
 意地だ。
 舐められても仕方のないだけの実力差であることは刃をほんの二度交わしただけでも充分過ぎるほどに感じている。
 だから、それはただの意地だ。せめて一矢を報いるくらいはしてやろうという、競技者アスリートの意地。
「……ッ!」
 彼女の周囲を起爆させようと、干渉力を注ぐ。粉塵はまるで星座の如く一層その輝きを増す。
 衝撃に備え、美樹は障壁を展開する。
 しかし。
 何も起こりはしない。大爆発どころか、そよ風すらも起きてはいない。
「え……?」
 美樹が見たのは、蒼海を取り囲むような位置に分散した、いくつもの水の塊だった。それらの位置は、美樹が爆破しようと干渉力を注ぎ込んだ場所に他ならない。
 つまり、目の前の光景が示すのは彼女が美樹の術式の展開を先読みし、水で覆うことによってそれを殺したのだということ。
 だが、有り得ない。
 美樹の干渉力充填には最適解といえるほどの精度はない。むしろ美樹は、精密制に劣ることを理解しているからこそ、出力を上げることで速度を補おうとする力任せパワータイプの術士だ。その術式発動には決して弱くはない余剰干渉力光が伴う。
 とはいえ、光の発生から実際の爆発までのタイムラグは刹那、発光を目視してからの対応などというものは不可能なはずなのだ。
 しかし現実、爆発は彼女の放った水塊によって覆われ、沈黙している。
「何が、うぅん……何を、したの?」
 問いを放ったのはウズメだった。驚いたのは使い手である美樹だけでも、問いを放ったウズメだけでもない。貞彦も彩乃も、どちらも驚きを得ているはずだ。この爆破領域術式は皆の前では手合わせなどで幾度となく使っているためにその効果は周知のものだ。
 決め技がこれであるということがわかって、かつその術式展開が目に見えていても対応の難しい術式領域。
 そのはずが、完全に無力化された。
 強いと、想像はしていたが彼女はそんな想像すらも遥かに上回っている。
 それに、と美樹は思う。
「見えない……」
 驚きを漏らしたのは彩乃。美樹が考えていたのもまさしくそこだった。
 彼女の術式は見えない・・・・のだ。
 術式を用いて干渉力が世界に干渉するとき、制御から離れた干渉力は別の物理力として変換される。最も変換が容易で、多く発生するのが光エネルギー、即ち余剰干渉力光だ。どれだけ高位の術士であっても、実用レベルの速度で術式を展開する場合、その多寡こそあれどほぼ必ずと言っていいほどに目視可能なレベルでの余剰干渉力光は発生する。
 ほとんど・・・・無駄のない干渉力運用は可能だが、全く・・無駄のない干渉力運用というのは不可能に近い。
 不可能ではないにしても、それにはほとんど・・・・無駄のない状態に比べて圧倒的に長い時間を必要とするだろう。刹那の遅れが生死を左右することもある術式においてそんなことをするのは具の骨頂。文字通り致命的だ。あるいは、無双やその欠片の中には、実戦レベルでそれを可能にする者もいるのかもしれないが。
 全く無駄がないと言われる干渉力運用にしても、正確にはゼロではないのかもしれないが、計測ができないのであればそれは無いも同然だ。
 彼女の余剰干渉力も、皆無ではないのだろう。だが、まばらに水銀灯が照らしているとはいえ、夜の暗がりにあって尚、明らかに見て取れないというのはないも同じだ。
「私はちょっと不便でね。一滴の干渉力も無駄にしたくないの。そのせいでこんなケチケチした術式運用しなくちゃいけないんだけど」
 彼女の言葉はもっともだ。美樹たちが驚いたのは、単純にその余剰干渉力光を漏らさない彼女の術式精度に対してだけではない。
 余剰干渉力を軽減しようと躍起になることはむしろ術式の展開効率を下げる結果となる。もちろん、ある程度のレベルまでは抑えることも必要だ。だが、彼女ほどのレベルまでいってしまうと無駄とすら言えるのだ。
 無駄を削ることが無駄とは、矛盾しているようにも思えるが、事実である。干渉力消費を抑えることはできるのだが、余剰干渉力光として消費される干渉力は極微でしかない。誤差と言ってもいい。
 彼女ほどの技量を持つ術士が、そんな初歩のことを知らないはずがない。それがもう一つの驚きの元だった。
「不便……?」
「えぇ。まぁ色々あってね。この術具に蓄えた分しか干渉力を使えないの。って、あら?」
 言って、蒼海雫は首に掛けたネックレスを持ち上げ、視線を向ける。
 術具であるということは彼女に言われなければわからなかった。蒼い宝石を中心に据えたそれは、装飾品としても充分に彼女のコケティッシュな魅力を引き出していた。
「もう空かぁ。最近はあんまり使わないから充填するのを忘れてきちゃった」
 彼女の言葉を聞く限りでは、それは充填式の干渉力の貯蓄庫タンクだったのだろう。
 通常の術士は干渉力切れを起こさないよう、そういった術具を持ち歩くことはあるが、あくまで予備でしかない。それだけしか使うことができないなどというのは聞いたこともない。
「御免なさい。不完全燃焼でしょうけど、これでお仕舞い。退いてもらえると嬉しいな」
 しかし、その点について言及されるのを拒むように、蒼海雫は言葉を続ける。
 美樹はその言葉に頷きで返す。事情はわからないが、術式をもう使えないというのであれば彼女とこれ以上相対する意味はない。それに、充分な収穫はあった。
「あなたの強さは充分わかったから、決して敵わないってことも含めて。ただ、二つほど聞いても良い?」
「何? 私に答えられることであれば答えるけど」
「あなたは私の術式がまっすぐ過ぎると言った。それはどういう意味?」
 これだけ高位の術士がいるのだ。教えを請わずしてはいられない。
 強くなる。辻斬りをはじめたその理由に、彼女との戦いは適合していた。
「単純なこと。あなたは自分の属性である爆発っていう概念に囚われすぎている。なまじ汎用性が高い領域爆破系の術式が使えるだけにね」
 どこか婉曲な言葉。美樹はもう一歩踏み込んだ答えを得ようと、問いを向ける。
「どうすればいいか、そこまで教えてもらうことはできないかな?」
「そうやって図々しくも答えを引き出そうとするその胆力に免じて、ヒントだけあげる。結果だけを見るんじゃなく、過程を見なさい」
「それって……?」
「あとは自分で考えて。それで、もう一つは?」
 謎掛けのようなヒントを与えられ、考える間もなく次の問いを促される。
 第二の問い、むしろそちらこそが本命とも言える質問。
 意を決し、美樹は問い掛けを口に出す。
「あなたは蒼海の姓を名乗った。でも、蒼海に術士は一人しかいないはず」
 蒼海家の術士としての歴史はこの上なく浅い。
 霞たちの父も術士ではなく、母方が神薙の血筋だったというだけだ。
 そのため、蒼海の術士といえるのは霞と、その母だけしかいない。もしかすればそれとは全く別の経路から術士が生まれている可能性もあるが、蒼海という姓は決してよくあるものではないし、霞の弟であるせい葉河ようかも術式の教えは受けていないはずだ。
「その答えは、私の口から話すのはやめておくよ」
 どこか含みある笑みを浮かべ、蒼海雫は続ける。
「家に帰ったら、梨緒にでも聞いてみて。じゃあね」
「え?」
 思わぬ人物の名前に、全員が聞き返すのも忘れ、唖然とする。
 その間に、蒼海雫の姿は暗闇に紛れていった。呼び止める暇もない、ごく自然で、あまりに素早い動き。
「……梨緒?」
 四人の声が、見事に重なり宮並の夜に消えていった。


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