〜第捌話『詰問』〜


「説明してもらうぞ」
 深夜に突然、叩き起こされた梨緒は開口一番に放たれた貞彦の言葉に戸惑っていた。
「え? な、何を? あれ? それとも、あれのこと?  ワタシ、カクシゴト、シテナイ、ヨ?」
 なんに対する叱責か、見当がつかない。
 身に覚えがないのではなく、覚えがありすぎる。どれが発覚したのかわからない。
 しまった、と口にすることなく梨緒は思う。今の発言で複数個の秘密があることがバレた。あとで美樹による詰問は避けられまい。その証左に、姉は呆れた表情のままにこめかみを震わせるという器用な顔芸を披露している。
「蒼海雫という女を知っているな?」
 気取られた時の危険度順に頭の中で並び変えていた梨緒は続いた貞彦の言葉に驚いた。
 名前を聞いて、一瞬でそれが誰であるかわかる程度にはよく知った人物だ。
 しかし蒼海雫か。そう名乗ったこと自体に対して溜息をつく。色々と言いたいことはあるものの、本人以外に愚痴ったところで意味はない。
 問題は何故、彼女の名前が貞彦の口から出てきたか、である。
「さっきそこの公園で辻斬りの相手を探してたら出くわしたの。霞お姉ちゃんとどういう関係なのかなって思って聞いたら、梨緒に聞けばいい、って」
 そう補足したのは美樹。
 それを聞いて成程、と梨緒は納得する。貞彦が辻斬りをしているということは事前に知っていたし、雫にしても普段は温厚なものの、喧嘩を吹っ掛けられれば殴り倒す程度のことはやってのけるだろう。
 改めて貞彦の顔を見てみるが、怪我らしい怪我はない。雫が宣戦布告を受けておいて見ず知らずの相手を無傷で返すなどということはないと思い、生まれる疑問。
「えっと、勝ったの?」
「全然。私が勝負もらったんだけどね。まるで歯が立たなかったよ……」
「あー。そっかぁ」
 やり合ったのが姉であったことを考えれば誰も怪我らしい怪我をしていない理由も頷けた。恐らくは千堂という姓を聞いて、自分と血縁であることを悟ったのだろう。あえて具体的にどこかというのは屈辱的なので考えないようにするものの、姉と自分では発育の具合にかなりの差がある。ショウリョウバッタの雄と雌の体格差のように。そこまで考えて否定。そこまで違いはしない。将来性に期待である。
 思考を元の路線に戻す。完全な他人であればともかく、身内と血縁であるとわかればきっと対応は甘くなる。いくらなんでも辻斬りを吹っ掛けてきた相手に付き合うというのは付き合いが良すぎるようにも思えるけれど、彼女の性格はそんなものだ。まだ出会ってからそれほど長い時間を過ごしたというわけではないものの、その分内容は濃密だ。そのくらいはわかる。
「えっと……蒼海雫、って名乗ってたの?」
 改めて、問う。
 そう名乗る可能性がある人物は一人しか心当たりがないし、彼女であればそう名乗っても不自然ではないものの、どこか不公平アンフェアを感じないでもない。
 頷く貞彦を見て、思わず溜息がこぼれる。幸せが逃げるとよく言うけれど、むしろ幸せじゃないから溜息をつくのではないかと思う。
「むぅ。相変わらず勝手にそういうことを。雫ったら抜け掛けにしてもタチが悪いよホント……もう……」
「知り合いなんだな?」
 確認の問い掛けに梨緒は頷く。
「え、うん。まず間違いなくそう、だと思う。私と同じくらいの背丈で黒くてながーい髪の子でしょ?」
 頭の中に雫を思い描き、その特徴を列挙していく。
 まるで人形のように白くて綺麗な肌と華奢な体つきは梨緒と比べても更に一段階、女らしい膨らみに欠ける。これもまた具体的な部位についての思考は自分自身の矜持のためにも避けるが。
「あぁ。彼女は何者だ? お前とはどういう関係だ?」
「えーっと。とりあえず、部活の先輩?」
「なんでそこで疑問形なの? というかそんな答えじゃなんで蒼海姓名乗ってたのかの答えにならないんだけど」
 貞彦と美樹からの畳みかけるような問い掛けに、梨緒はどう応じるべきか悩んだ。
 答えたくないであるとか、隠したいであるとか、そういったことがあるわけではない。単純に、どう答えればいいのかがわからないだけだった。
 最初に浮かんできた答えが部活動の先輩だったのだから仕方がない。嘘を言っているわけでも、何かを隠しているつもりもない。
「私が蒲原学園の生物部に入ったのは言ったよね?」
 蒲原学園高等学校。それが貞彦たちについて宮並へとやってきた梨緒が入学した高校だった。
 そこで席が隣同士になったことから仲良くなった友人たちに誘われて魔窟やら【自主規制】やらと呼ばれることもあるという生物部に入部した。そこまでは姉たちにも夕食の席で以前話してある。
 問題はその後だ。
「そこにちょうど瀞ちゃんと葉河もいてさ」
 瀞ちゃんと葉河というのは蒼海瀞と御木川葉河。梨緒や美樹から見たところの従兄弟いとこであり、何よりも蒼海霞の弟にあたる。
 二人は兄弟のような関係であるものの、血縁上やら戸籍上ではなかなかに面倒なことになっており、そのために苗字が違うのだと聞いているがあまり深く聞いたことはない。葉河曰く自分でもその辺りはよくわからないとのことだが。
「え? ちょ、ちょっとそれ聞いてないわよ?」
「本当は学園祭か何かのときに来たら驚かそうと思って黙ってたんだもん。てっきりそれがバレたのかと思ってたんだけど」
 隠しておきたかった秘密の中でもそれなりに優先度の高いものだったので少し残念には感じるものの、別にそれが原因で叱責されるということはないであろうことを感じ取り、梨緒は一息をつく。
「その話は今度ゆっくりするとして……蒼海雫っていうのは?」
「んー、とね。雫も同じ生物部の部員。瀞ちゃんとこに居候してるんだよねぇ。それでたまに蒼海って名乗ってる」
 どう答えるのが一番正しく伝えられるか悩んだものの、ひとまず思いついた事実を告げておく。
 何か誤解があればあとで訂正すればいい。考え込んで黙っていたらどうせせっつかれてマトモに考える暇もなくなってしまう。
「たまに、というのは……本名ではないのか?」
「うん。本人は蒼海(予定)かっこよてい雫って冗談で言ってるけどね。本名は……えーっと、なんだっけ」
 雫の本名を言おうとするが、出てこない。
「覚えて、ないの?」
「い、いやぁ、いっつも雫としか呼ばないからさ。えっと……」
 ポケットの中から携帯電話を取り出してアドレス帳を開くものの、そこに梨緒が望んでいた情報はなかった。
「ダメだ。アドレス帳にも雫で登録しちゃってる。ちょっと待ってね」
 言って、アドレス帳から電話を掛ける。こんな深夜に電話を掛けるというのもなかなかナンセンスではあるけれど、雫であれば許してくれるだろうと思ってのことだ。
 二回、三回とコール音が響く。それが二桁になるあたりだろうか、電話の相手が通話ボタンを押したのがわかる。
「もしもし? うん、うん。そうそう、今ちょうど。電話代わる?」
 雫が辻斬りを挑まれ、その時に梨緒の名前を出したのだということを告げてくる。やっぱりそうかと思いつつ、姉たちに代わるべきかと聞くが雫は拒否。
「あ、いい? わかった。っていうか何したの? ふむふむ……要するにお姉ちゃんを瞬殺できたけどしないでやったぞ感謝しなさいってこと? あ、違う? うん。っていうか蒼海って名乗るのはズルいからやめてっていつも言ってるじゃん! あーもー! あ、うんそれでね。お姉ちゃんたちが雫の名前ってなんだっけって言っててさ。アドレス帳に登録してあるのも雫ってだけだし。うん。あぁ、そっか。思い出した。ゴメンゴメン。うん、ありがと、じゃあまた明日、あ、もう今日か。こんな時間にゴメンね。おやすみー」
 言いたいことを言うだけ言って、梨緒は携帯の通話ボタンを押し、通話を終了させた。聞きたいことは聞けた。
「わかったよ。雫の名字」
「それで、何て?」
 別に珍しい苗字というわけでもない。
「清水。清水雫だってさ」
「清水って……あの・・清水?」
 柄にもなく静かにしていたウズメがその言葉に突然食いついてくる。
 清水などという苗字は別に珍しいものではない。山田や佐藤やら高橋ほどは多くないとは思うが、それでも学年に一人二人はいてもおかしくないくらいだ。
 そんな苗字に驚いているという事実に驚く。
「あの、ってどの?」
「術士の名家の一つ《水》の清水家ですわね」
 浅緋が《火》の属性の名家ならば清水は《水》の名家。どちらも五行、四大元素の両方において共に挙げられる術式の属性としては最もポピュラーな一種であり、術士として最高といっていいほどの高位の血統だ。
 清水家の現当主、清水天象に至っては《風》の名家として高名な藤代家の当主、藤代翁と渡り合えるであろう唯一の人間とすら言われている。
 清水という姓は決して珍しいものではないが、あの流体制御の能力と考えると、むしろそうであると考えた方が納得できる。
「教えても梨緒にはわかんないでしょ、そういうの興味なかったし」
「うん、全然わかんない」
 家柄であるとか血筋であるとか、そういったものについては面倒臭すぎたために意識して無視してきた。
 千堂の家は分家筋であってさほど有名な家柄ではないが、それでも術士の家系として小さい頃から術式の存在は知っていたし、だからこそ術式という超常的な技術についても、あって普通であると思っていた。
 術士としての資質についても姉が上だったこともあり、後継者となることはまずなかったのだろうが、術士としての責任や危険の数々を、姉である美樹に押しつけるかたちとなってしまったことには心苦しさを一切感じないというわけではない。
 そして先日の事件だ。貞彦に襲われ、抵抗することもできずに犯された。そこまでは良い。最終的に彼の暴走を止めることが出来ず、最後の戦いとでも言うべき場では最後まで戦うどころか、起きていることさえもできなかった。
 その無力感は梨緒に火をつけた。あの日、目をそらした術式という技術に改めて向き合おう、という。きっかけこそあの事件ではあるものの、実のところそれを継続できている理由はまた別にあるのだが。
「あ、あとお姉ちゃんによろしくって」
「あ、うん。そう」
 だがその決意は美樹をはじめ、誰にも漏らしてはいない。いつか、その力になれると自信を持てた時にこそ、全てを明かそうと、そう思っていた。
 何せ飽きっぽく、長続きしない性質タチだ。もしうっかり漏らして諦めたなどということになれば有言不実行も甚だしい。
 そんな、いつ諦めても良いようにという予防線の意味もあって秘密にしているのだった。
 もし、もしもの話だ。梨緒が術式に改めて向き合い、続けることのできている理由を、貞彦に話したら。一体彼はどんな顔をするのだろうか。想像しただけで笑みがこぼれてくるが、かといって真実を告げるわけにもいかない。
「それにしても《火》に《水》とこうも立て続けに出会うとは驚きですわね」
 幸いなことに、誰も梨緒の笑みに気付いてはいないようだった。今はまだ知られるわけにはいかない。
 トリップしかけた思考を目の前の現実へと戻す。
「この調子だと明日、明後日あたりに榊とか藤代とかにも会ったりしそうだよねー」
 彩乃の言葉に頷き「あはは」と笑うウズメ。
 どこかでそんな姓を聞いた記憶があるものの、曖昧な記憶で物事を話すといろいろと面倒なのでやめておく。特に貞彦は何事も大袈裟に捉えるようなきらいがあるようなので、確信がない場合は言わない方が吉だ。
「そういうことを言ってると本当に出てきそうだからヤメてよ……」
 辟易とした表情で美樹が溜息。
「まぁ本当に出てきてくれるのであれば好都合でもあるがな。美樹、彼女との戦いはどうだった?」
「えっと、凄い勉強になった……と思う。私たちが今までやってきたみたいに、同じレベルの相手と戦うのも大切だと思うけど、やっぱりあんな、より高位にある術士との戦闘経験は必ず糧になる。今まで気付けなかった術式の属性を悟られやすいっていう欠点も見えたしね」
 ただ、と、真剣な表情になって美樹は続ける。
「彼女は梨緒と知り合いだったから付き合ってくれたけど、他の術士も同じとは限らない。むしろそうじゃない可能性の方がよっぽど高いと思う。私たちじゃ、この宮並の術士には敵わない。もし相手がその気であれば、命を落とすことだってあるはず。気をつけるに越したことはないよ」
 そう、宮並の術士は強い。東日本における術式のメッカと言われるだけのことはある。
 梨緒は言うにも及ばず、美樹や彩乃、貞彦も、更にはウズメでさえも敵わないかもしれないと思えるほどに。
 梨緒にとって、皐月や尚美をあわせた彼らは大切な家族・・だ。今、この不思議な同居生活については居心地良く感じているし、危険な目に遭って欲しいとはもちろん思わない。
 しかし、梨緒は止めない。自分が力不足を感じ、力を望んだのと同じように、彼らもまた、失わないための力を求めているから。
「大丈夫。きっと未来は幸せだから」
 屈託のない梨緒の笑顔に、皆が呆れたように苦笑する。しかしそれは決して馬鹿にするようなものではなく、安堵の意思を含んだものだった。
 明日、もといもはや今日となっているが、用事があるのだ。決して遅れることは許されない。だから、
「おやすみぃ」
 それだけ告げて、梨緒はそのまま眠りについた。


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