「柊流退魔師、柊葵!」
 名乗る。
 その言葉に意味があるわけではない。しかし、葵にとっては自らの思考を退魔師のそれへと切り替えるための儀式ともいえるものだった。
 それに際し、葵は二つの術式を展開する。一つは思考の加速、そしてもう一つは身体強化。術式戦闘における基本中の基本であり、最重要な生命線でもある。
 触手塊は既にその敵意を葵に向けている。聞き及んだ話通りであれば、ソレらは女性を餌とする。それも肉を喰らうわけではなく、女性を捉え、その体液を食餌とするという女の敵ともいうべき存在だ。
 触手塊から一直線に触手が放たれる。槍の一撃にも勝るであろう一撃を、しかし葵は後ろへ跳ぶことで避ける。
 術式は誰しもが扱える、というわけではなく、また、その能力も鍛錬よりも才能によるものが大きい。
 そしてその才は、大部分が血筋によって決定付けられるといえる。事実、高名な術士の大部分はなにがしかの名家の出であることがほとんどである。
 葵はそういった意味で、誰しもが望んでも得られない才能モノを持っていた。
 術式の名家といえば藤代、陣原、清水、浅緋、榊などがまず挙がる。それらと比べれば柊の名も霞むというものだが、葵個人の才能という面ではそれらの家の術士すらも上回っているという自負が葵にはある。
 葵は触手塊から注意を逸らさないまま、右手に干渉力を集中する。
鳴神ナルカミ!」
 イメージする。その形を、重みを、感触を、様々な情報を浮かべ、虚空にその存在を実在させていく。
 葵の手から生じた干渉力が光を伴って可視化、球体から棒状へとその形を変え、最終的にその光の中から一振の薙刀が現れた。
 作り自体は簡素ながら、太刀のそれにも劣らない巨大な刀身にはその名を表すかのように雷の如し刃紋が浮かび上がっている。美術品としても価値があろうそれは、長さは三メートルほどと、薙刀としても最大級の大薙刀に分類されるものだ。
 本来、女性が扱えるような重さではないが、全身に行き渡る身体強化の術式がそれを可能にする。
 鞭のように振るわれる触手を、今度は避けることなく薙刀の刃で受ける。
 相手の勢いも利用して切断できる、そう思っていた葵だったが、意外なことに触手は斬れることなくその衝撃を伝えた。
「っ……」
 術式で身体強化を行っているとはいえ、相手は人外の存在。単純な力押しで勝てる相手ではないし、葵自身そこまで侮ってはいない。
 鍔迫り合いのような形となっている状況から、刃を傾ける。表面の粘液もあってか、触手は滑るように地面に叩きつけられる。
 そのままの隙を狙っていたのか、突き出すように向かってきていた幾条もの触手をバックステップによって射程圏外まで飛び退き、伸びきった瞬間を見計らって身体全体のバネを使って前へと跳ぶ。
「木気を纏いて此処に霹靂を齎さん。柊流退魔術《迅雷》……急々如律令いそぎてりつりょうのごとくなせ!」
 高速で呟かれた詠唱の呪言により、柄を通して干渉力を流された鳴神の刀身が雷を纏う。
 大きく左に、あたかも居合いを行うかのようにソレを構え、
「奮ッ!」
 裂帛の気合と共に、振り抜く。
 剣閃は雷の尾を引き、葵自身ですら気付いた瞬間には刃は既に振り切った後だった。一般的には隙が大きいのと、相手がその詠唱から術理を解する危険性からあまり用いられないという呪言の詠唱だが、用いれば、使用者が無詠唱で行える限界以上の術式を用いることが出来る。
 柊流《迅雷》は葵の祖父は槍に、父は刀にそれぞれ用いていた、刀身の雷速化術式である。現実的には雷の速さと同速とまではいかないものの、それでも圧倒的な剣速を誇る。問題は、あまりの速さに振り始めれば制御が利かないという点だがそれすらも些事。
 その速度は、触手塊の中心、核だと思しき球状の部分を見事なまでに両断していた。断面は纏った雷によって焼け爛れており、再生する兆しは見られない。
 葵は念のためにと両手に《雷丸》を紡ぐ。雷球を生み出す汎用性の高い術式で、葵が最も好む術式だった。
 そのまま両手の雷を振りかぶってから叩きつけると、触手塊はその一片も残さずに焼滅した。
「でも……」
 ここ最近の失踪事件が起きるのは常に日付が変わってからだった。中心街の方であればともかく、この辺りでは日付が変わるほどの時間ともなれば人通りは皆無に等しい。故に犯人は人目につかないよう行動を起こす、それなりの知性を持つ存在であると判じていた。
 だが、今しがた屠った触手塊には人目を気にするほどの知性があるとは思えない。また、格で言うのであれば良くて中級、転移術式を使えるほどではなく、突然現れたというのも不自然に過ぎる。
「どういうことなの?」
 葵の疑問に対して答える者はいない。
 偶然。その一言で片付けることができない程度のことではない。だが、連続失踪事件の最中に発生したことである。一言で捨て置けないのも事実であったし、何よりも葵の術士としての本能が、その全てに関連があることであると訴えていた。
「何か、ある」
 術士としてまだ若く、猪突猛進な感すらある葵ですら、好奇心を覚えつつも、一抹の不安を覚えずにはいられないのであった。
 夜天の星々は、何も告げることなくただただ地上を見下ろしていた。


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