弐
「ん〜……」
葵は悩んでいた。
そのタネは、つい先日の期末考査の結果もそうだが、それ以上にやはり、失踪事件についてのものだった。
ただの失踪事件であれば、いい加減に警察が何らかの情報を得ていてもおかしくない頃合だが、ニュースではそのようなことは一切報じられない。
それどころか、今後は捜査が縮小に向かうのではないかと葵は睨んでいる。
理由は単純にして明快。事件が途切れたのだ。
これまでは一週間に一度ほど、二ヶ月弱に及んで発生していた連続失踪事件だが、葵が触手塊を滅した三週間ほど前から、それらしき失踪者はいない。
「どういうことかしらね」
件の触手塊のような人外にも、あれ以降出会ってはいない。
不可解さを覚えはしたものの、よく考えればあの人外は空間転移に特化した特殊な人外だったのかもしれない、と一度は葵も思った。しかし、だとすれば葵との戦闘時にそれを用いなかったのはおかしい。
勿論、単純に連続使用ができないだけかもしれないし、使う間がなかっただけとも考えられる。
「でも……」
何かが、ある。
その予感は、何の根拠も無く、時間を経るごとに確信へと変わっていった。
祖父や父も、そんな葵の勘を信じてくれていた。
その信頼に応えるためにも、そして何よりも持ち前の正義感故に、葵は深夜の調査を続けていた。
調査といっても、別段変わったことをするわけではない。ただ、夜間に人気の少ない場所を中心として歩き、随所で索敵の術式を行うという程度のことだ。
それに加えて、式神を用いた探査も行っているのだが、葵自身の式神の扱いに対する不得手もあって、何の成果も挙げられていなかった。
このまま、漫然と調査を行っていても結果は出ない。
そう、葵は判断した。二ヶ月以上の捜索をしても尻尾すら掴めないというのは異常だった。そもそも人外の大部分は人間社会に影響を与えないか、あるいは獣と変わらない。
前者であればこのような事件は起こさないし、後者であれば、もっと派手な行動を起こしてすぐにでも葵が滅ぼしているはずである。
しかし、ここまで相手がわからないとなると、方針転換は必要である。改めて考えれば、もっと早くに転換すべきだったのだが、今までそういった事例が無かったためにその判断が遅れたのは仕方がないことだと言える。
では、どのように方針を変えていくのか。そこが葵の悩みどころであった。
そこで、葵の父は四つの選択肢を挙げた。
第一案として、今までどおりに地道に捜索を続けること。
第二案として、他所から術士を呼び、合同で捜索を行うこと。
第三案として、葵が使っているような簡単なものではない、高度な探索術式を用いること。
第四案として、事件を終わったものとして見、捜索を打ち切ること。
父に提案された四つの案の中から、葵はすぐさま第一案と第四案を却下した。今までどおりでは意味がないことはわかっているのだし、捜索を打ち切ることなど言語道断だった。
残るは第二案と第三案だったが、現実的に考えてみれば高度な探索術式を使うにしてもその使い手がいない。つまりは第三案を使うにしても、他所から術士を連れてこないことにはどうしようもないのだ。
要するに、選択肢などそもそも存在しなかったのだと葵は気付き、苦笑する。
どの術士を呼ぶのか、そしてそれが受け入れられるのかなどの問題は残っている。術士がこの街に来るまでには、どれだけ早くても一週間ほどかかる。
増援として来る術士と、より効率よく捜索が出来るように、葵は一人ながらも捜索を続けていた。
葵がやってきたのは、二週間前に触手塊とやりった公園だった。僅かなものながらも、今回の件に関する数少ない手掛かり。とはいっても、触手塊そもそもが《雷丸》の術式で処分してしまったわけだが。
一縷の願いを込めて、葵は探知の術式を使う。
「え?」
感じ取れたその結果に、葵は感嘆の声を漏らした。
二週間前の、あの触手塊と同じ感覚。突然現れたという点までもが重なっている。
だが、今夜は前回とは違う点が一つあった。
人がいるのだ。
拙い。そう判断した葵は急いでソレの出現点へと走る。
幸いなことに、その場所はそう遠くはない場所だった。葵の探知可能範囲がそこまで広くないのだから、当然と言えば当然なのだが。
走り、着いた場所で葵が見たものは二つ。
一つは触手塊。二週間前に見たものとは恐らく別個体であろうが、その差異を判別することは葵にはできないし、する必要もない。
もう一つは男性。四十代前半ほどの、何の変哲もない男性だ。見たところ、酔いの回ったサラリーマンといったところだが、重要なのはそんなことではなかった。
触手塊から伸びる触手が、今にも男を貫いてもおかしくない。
酔っているためか、男は危機感を感じている様子はない。それどころか、触手塊のことを置物か何かと間違えているらしい。
「《鳴神》!」
いつもは行っている名乗りを省略し、思考と肉体をそれぞれ加速、強化。ほぼ同時に愛用の薙刀を術式形成して男と触手塊の間に跳び込む。
それを合図とするかのように連続で放たれる触手槍を、薙刀を短く持つことで迎撃する。触手の動きはその風貌に見合わないほど速いが、それでも反応しきれないレベルではない。
葵は迫り来る触手を受け流し、避けながら、自身の周囲に《雷丸》の術式を展開する。
その数は六つ。戦闘中の並列思考で葵が自在に制御できるのはそれが限界数だった。
そこまできて、ようやく酔っ払いはこの状態が尋常ならざるものであると理解したらしい。だが、結局は腰が抜けたのかその場から動けずにいる。早くこの場から離れてくれればよかったものを、と思いつつも葵は雷球を触手塊に撃ち込んでいく。
触手塊はその触手を地面に叩きつけると、その外見に見合わない意外な素早さで跳躍した。
一、二発と放った雷球が虚空で爆ぜ、三、四発と放ったものは触手に弾かれる。
「ちっ」
舌打ちをした瞬間、高速で迫っていた触手が葵を打つ。
「がはっ!」
腹部を強打された葵の集中力が途切れ、展開していた残りの雷球が消滅する。
これを好機と見たか、触手塊は再び触手を放ってくるが、その軌道や速度はこれまでに葵が見たものとは違った。
(私を捕獲する気ね!)
内心で呟きつつ、微かに浮かんだその想像に吐き気を催す。
「死んでも御免よ!」
右腕にある使い慣れた得物の感触を確かめ、握り締める。
ただの斬撃では触手で弾かれるということは、前回の戦いでわかっている。
故に、葵は迷うことなく一つの決断を成した。
「木気を纏いて此処に霹靂を齎さん……」
少しずつ落下していく身体の姿勢を整え、着地に備えつつ呪言の詠唱を続ける。
着地。
「柊流退魔術《迅雷》」
軸足に渾身の力を込め、呪言を完成。
「急々如律令!」
放たれる雷速の斬撃に、触手塊は成すすべも無くその身を両断される。
勿論、雷球によるトドメも忘れはしない。すっかり炭化したその遺骸を確認してから、葵は小さく息を吐く。
「……こんな夜遅くに出歩くと危険ですよ。特に最近は失踪事件も続いてますし」
そこまで言って、男が父ほどの年齢であることに気付く。男からすれば、子供と同じくらいの年頃の娘に説教されているという状態だ。
そもそも、何の事情も知らない一般人からすれば、夜遅くに出歩いていて危険なのはむしろ葵のような少女の方である。
「あ、すみません、えらそうなことを言って。でも、本当に危険なので……」
そう説明している内に、葵は気付く。
男の身体が、消えていっていることに。
既にそこにいない、ということではない。その身体が、少しずつ、氷が解けるようにその場から失われていっているのだ。
「何よ、これ……」
男は既に意識もないのか、虚ろな目のままでぼんやりと葵の方を向いていた。