第参話『箱庭』


 朝。
 貞彦が目を覚ますと、まるで金縛りにでもあったかのように身体が動かないことに気付く。
 その上、右腕の二の腕から先に至っては感覚すらない。
「くっ……」
 まさか、これが契約の本当の代償か、と思った刹那、身体から重さが抜け、上半身が持ち上がる。
「ひゃっ!」
 確実に自分のものではない高い声に、目を向けてみるとそこには全裸のウズメの姿があった。
 貞彦は冷静に状況を判断する。
 昨晩、俺はウズメとの契約を終えた後ベッドに倒れこむようにして眠った。何かをしたという記憶もない、つまり、そこから求められる答えは一つだ。
 ウズメがベッドに入ってきて、勝手に腕枕をしていた、と。
「サダヒコ……おはよー」
 寝惚けているのか、それとも狙っているのか、その表情は童女のそれを思わせるものだった。
 だがその豊満な肢体を隠すもの一つなく、目覚めたばかりということもあり貞彦の股間は屹立していた。
「あらあら……ふふ」
 それを目聡く見つけると、ウズメはそのひんやりとした手で包み込む。
「ウズメ、お前、何を……」
「何って、ナニ?」
 わざとらしくそう言っていやらしく笑うと、その手がゆっくりと撫で付けるように動き出す。先程の、童女のような表情を思い出し、貞彦は背徳的な気持ちになるが、そんなことは関係ないと言わんばかりにウズメの手の動きは容赦なく続く。
「いい加減に、しろ!」
 起き上がろうとするものの、バランスを崩してウズメを押し倒したような格好になる。
「あらコワい」
 おどけたように呟くウズメ。だがその目は淫らな期待に満ちていた。
「いいだろう、その挑発、乗ってやる」
 貞彦にしても経験が豊富というわけではないがこのご時世、そんな情報はいくらでも手に入る。
 痺れの抜けきらない右腕をベッドにつき、残った左腕でウズメの豊満な乳房を揉みしだく。
「ひゃ……ぁっ、んっ……」
 小さな喘ぎがウズメの口から零れ、いやらしい乳房の、その先端部が充血していく。
 ウズメは既に童女どころか発情しきった牝の表情を浮かべている。だが、それ以上はしない。
「ぁ、サダヒコ、もっと……」
「何を?」
 何を言いたいのかは貞彦にもわかっている。だからこそ、その上で主導権をとる、そう思っていると、
「ふふ」
 ウズメの零れ笑いが耳に届き、貞彦の三半規管が天地が逆転するかのような感覚を伝える。
 そして気付いた時には既に、貞彦はベッドに背を向けていた。
「な……」
 何をどうしたのかは予想もつかない。ただ、ウズメがただの売女などではないということを改めて実感する。
「イイ。やっぱりイイよサダヒコ。でもね、私相手に主導権を握ろうってのは……ちょっと早すぎる」
 その言葉が終わると同時、ウズメが腰を下ろした。貞彦の下半身に熱と、凄まじい快感が走る。
 怒張を咥え込んだウズメの肉壷はその内側でまるで別個の生物のように蠢き、愛撫する。
 あまりの快楽に動くこともできない。そんな貞彦の上で、ウズメは弄ぶように腰を振る。そしてその度に快感が下半身を満たしていく。
 二度、三度とそれが繰り返されただけで、貞彦の怒張は我慢の限界を超え、その欲望をウズメの中に吐き出した。
「この、淫乱が……」
 せめてもの抵抗は、その一言を浴びせることだけだった。





「ふふ〜ん、ふんふふ〜ん」
 なにやらご機嫌の様子で鼻歌を歌っているウズメ。その服装は当然――と言っていいのか微妙なところだが――既に服を着ていた。昨晩と変わらぬ巫女服である。貞彦も昨晩はある種幻想的なイメージを抱いたものだが、改めて見ると変だとしか思えなかった。
 似合っていないかというと不思議とそうでもないのだが、本物の巫女というよりもやはり、コスプレでもしているようにしか見えない。
「あれ……サダヒコ、機嫌悪い? もしかして溜まってる?」
 ウズメの戯言は聞かなかったことにして、時計を見ると、時間は七時。
 いつもならば六時に起きてゆっくりと支度をするところだが、ウズメのせいで余計な時間を食っていた。
「そういえばサダヒコ、何をするか決めた?」
「何を、するかだって?」
 唐突なウズメの問い。それが意味するところがわからず、貞彦は答えに窮する。
「えぇ。まさかこのまま私を居候させて、ただ生活を続けるわけじゃないでしょう?」
 そこまで言われて、貞彦はウズメの言わんとすることを理解する。
 確かにウズメが居候する、という事柄は一般常識からすれば一大事もいいところだ。しかし、それが貞彦の渇きを満たすとは思えないし、ウズメの意向に沿ったものでもなかろう。
 つまりは『どうやって私を楽しませてくれるのか』というのがウズメの問いかけ。
 だがそれに対する答えを、貞彦はまだ提示できない。
「ねぇ、絵を描いてみてよ」
 どこから取り出したのか、ウズメは貞彦にペンと紙を渡す。
 だが、唐突にそんなことを言われても貞彦にしてみればどうしようもない。別に絵を描く趣味もないのだ。
「絵? 何の絵だ?」
「何でもいいよ」
「そう言われてもな……」
「じゃあさ、犬を描いてよ。簡単でいいから」
「犬? ……まぁ、いいが」
 わけがわからない、そう思いつつもとりあえず頭に犬を思い浮かべ、渡された紙に描いていく。
 五分ほどで絵は完成した。犬種は指定されなかったが、完成した絵にはコーギーが描かれていた。
 完成したそれをウズメに渡すと、ウズメは感心したように声を上げる。
「へぇ……上手いものじゃない。絵で食べていけるんじゃないの?」
「世辞はいい。それよりも何でこんなものを描かせた? 犬の絵が欲しかったわけじゃないだろう」
「いい例になると思ってね」
「例?」
「そう。人って生き物はね、束縛を嫌うけど何かに縛られないと逆に困るものなのよ。たとえば重力に縛られない空間では歩くこともおぼつかず、道に縛られない海のド真ん中では方位すらもわからない。そしてアナタも、絵を描けと言われても描けなかったけど、犬を描けと言ったら描けたでしょう?」
 随分と遠回しな物言いだが、貞彦も言いたいこと自体は理解できた。
 つまりは人は制約やルールに縛られていた方がやりやすく感じるということだ。
「お前の指示通りに動け、と?」
「いやいやまさか、そんなわけないじゃない」
 ウズメの答えは意外なものだった。
「私は犬を描けって言ったけど、コーギーを描けとは言わなかったよ。柴犬も、シーズーも、オールドイングランドシープドッグも、色んな犬がいるのにね。私は指針を示してあげる。それも、アナタが嫌だというのであればまた別の指針を。そして私とアナタ、両方が楽しめるコトをしましょう?」
「成程、な……それで? お前の示す指針、というのを聞かせてもらおうか」
 ウズメは嫌だと言うならば別の指針を、と言ったが、恐らく貞彦は自分が彼女の示す第一の指針に頷くだろうと思っていた。
「ハーレム」
 ……予想通りだった。
 至極予想通り過ぎて、貞彦は溜息を吐きたくもなった。
「様々な女性を堕落させ、隷属させ、侍らせるの。アナタの、アナタだけのハコニワを作るの……どう?」
 その声色は、ひどく無邪気で、そして今までに聞いた彼女のどの言葉よりも、淫靡だった。
「いや、サダヒコが陽萎だったりむしろアー! って感じだったりするなら別の方が良いと思うけど」
 口調を戻してウズメがおどける。
「俺は不能でも同性愛者でもない」
「……ってかサダヒコ、よく陽萎でインポだってわかったね」
「伊達に乱読しているわけじゃないからな」
 どうでもいいことを褒められ、小さく息を吐き出す。
 そもそも、そうでないということは今朝の時点でわかっているだろうに、と内心で呟く。
「じゃあサダヒコ、答えを聞かせてくれない?」
「そう提案するからにはそれができる力なんだろう? お前のくれる力というものは」
「えぇ、勿論」
「いいだろう」
 決意を告げる。
 己の、その欲望に従って。
「受けてやるさ。俺は宣言しよう、俺は俺の、俺だけのハコニワを作り上げると」
 告げた言葉に、ウズメは満足げな笑みを浮かべていた。そして宣誓した貞彦自身もまた、同じような表情をしていた。
 その思考は、既にどのようにしてそれを達成するかへと向けられていた。


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