第肆話『衝動』
担任の中年教師が進路についての説明をしているのを、聞いているふりをして聞き流す。
受験が間近なのも事実ではあるが、貞彦は正直なところどうにも興味が湧かない。これといって勉強したい分野があるでもなし、進路については進学よりも就職の方が自分にとっては現実的な選択肢に思えていた。
それに何より、そんな些事にかまけるつもりは毛頭ない。
しばらく説明が続き、配布物に一通り目を通していると、終業のチャイムが鳴る。
教室に残る理由も無く、さっさと下校しようとそう思っていたところで、貞彦は担任に思いもよらず声を掛けられた。
「何ですか?」
どことなく面倒そうな臭いを感じつつも無視するわけにはいかず、担任のもとへと向かう。
「資料の整理とかの手伝いを頼みたいんだが、時間は大丈夫か? 用事があるなら無理強いはしないが」
貞彦は特別この担任と仲が良いわけでもないし、逆に罰を受けるほどに目立ったことをしたこともない。
何故俺が? そう問い掛ける前にその答えに気付く。
「そういえば進路委員だったか」
他の面倒な委員や係を押し付けられるよりはマシだろうとそんなものになった記憶が残っている。
自分自身が受験するつもりがないとはいえ立場的には受験生、拒否しようと思えばできるのだろうが、家に帰ったところでウズメに遊ばれるだけである。
単純作業をしながらの方がこの先の方針もまとめやすいだろうと判断した。
「……わかりました」
「そうか、助かる。三嶋の方はどうだ?」
「三嶋?」
担任の口から出た予想外の名前に貞彦は首をかしげる。
いつの間にか、三嶋も貞彦の横に立っていた。彼女も同じ進路委員であったことを貞彦は思い出す。
やめておけばよかった、そう思いつつも今になってやっぱりやめたというわけにはいかない。
「えっと……私も大丈夫、です」
「そうか、じゃあ二人で手分けしてやってくれ」
「はい」
「……わかりました」
そんな経緯から、貞彦は三嶋と資料整理をやらされる羽目になったのだった。
*
紙の擦れる音が夕暮れの教室に響き渡る。
季節的に既に日は短い、あと一時間もすれば日はとっぷりと落ちていることだろう。
問題は、それまでにこの作業が終わりそうにないということだ。
三嶋がトロいというのも原因の一つには違いないだろうが、何よりの問題は資料があまりにも多すぎることにある。
作業の開始から既に一時間。別にサボるわけでもなく真面目に作業を続けているというのに、終わりが一向に見えてこないというのはどういうことだろうか。
その上、それを押し付けた担任教師は資料室まで二人を案内し、資料の山を示すだけ示して去っていった。手伝いと言っておきながら丸投げしているところがまた恨めしかった。
無言のままに、乱雑に集められた資料を整理していく。
少しは整理しておけ、と貞彦は内心で毒づく。同じプリントですら様々な場所に点在しているのだから、あまりのズボラさには教師の悪意すら感じられる。
「あ、あの……」
いくつのプリントの山を整理し終えただろうか。唐突に三嶋が教室に充溢していた沈黙を破った。
「最近、元気?」
「調子が悪ければ学校を休む」
恐らくは他に話題を考えてはいなかったのだろう。貞彦の淡白どころか冷たい回答に三嶋は押し黙る。
彼女――三嶋皐月はいつも千堂と一緒にいることからその影に隠れがちだが、その容姿は端麗と言って相違ない。
黒のショートカットは物静かな彼女の雰囲気によく似合っているし、彼女に好意を抱いている男子も少なくないものの、浮ついた話は千堂同様に流れることがない。
「……」
「……」
微かに途切れた沈黙が黄昏の教室に再び訪れる。
教室に残っているのは貞彦と三嶋の二人だけ。
部活をやっている者はまだ校内に残っているものの、三年の大部分は既に引退しているので、一部の推薦が決まった者以外はもういない。
その状況を客観的に見れば、羨まれる状況にあるのは間違いないのだが、貞彦は喜ぶどころか苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「寂しそう、だから」
三嶋が小さな、対面に座る貞彦にやっと聞こえるほどの小さな声でそう呟いた。
「これは私のわがままかもしれない」
おどおどとした、たどたどしい口調が三嶋から消える。
残っていたのは、その瞳にあるものは、決意だ。
さっきまでの気の弱そうな三嶋皐月はいない。今貞彦の目の前にいるのは、信念の元に意思を貫く強い女。
「ずっとこのままじゃいけないと思うの。ひっくんにとっても、しゅうくんだって……」
最後の一言を耳にした瞬間、貞彦の意識が破裂する。
「黙れ」
思わず、机を叩く。無意識の内に術式が発動したのか、机は表面の木部を砕き、金属部分を歪ませた。
しかし、三嶋は――皐月は怯まない。
貞彦にはわかっていた。彼女はそういう女だと。貞彦は彼女のことを誰よりも、恐らくは親友である千堂よりもよく知っている。
「ひっくんはそれでいいの?」
「黙れと言っている!」
息を整え、皐月を見る。
その整った顔立ちに、真っ直ぐな瞳に、滑らかな黒髪に、控えめな胸の膨らみに。
確かな情欲を覚える。
彼女の、その容姿は昨日、この教室で別れたときから変わってなどいない。
変わったのは、貞彦の方だ。
植え付けられた欲望のせい、ということもできる。だが、それはただの責任転嫁だ。たとえ他者より植え付けられたものであろうと、今は自分自身のものに他ならないのだから。
それでも尚、ウズメにその責を求めるのが正しいのだとすれば、あらゆる罪人は親に自身の罪への責を求めねばならなくなる。何の意味もないことだ。
貞彦はただ、感謝する。欲望という掛け替えのないものをくれたウズメに対して。
零れ出しそうになる笑みを抑え込みながら、貞彦は決める。
術式を紡ぐ。
やり方など知りはしない。ただできるのだという確信だけが在る。その意思が、思考が、術式を紡いでいく。
想起する。ただ一つの現象の励起を。
そのために必要な様々な経過を、悦楽の欠片という神格の力に任せ、ただその結果のみを望む。
それだけで、術式は完成する。
「っ!」
ようやく危機感を感じたのか、皐月は教室から逃げ出そうとする。
良い判断だと貞彦は感心する。勘もいい。だが、そんなことに意味はない。
「え……?」
教室の扉は開かない。それはまるではじめから壁だったかのようにビクともしない。
当然、貞彦がそうなるように術式を紡いだからだ。
だが、それに対する皐月の行動は貞彦の予想していたものとは異なっていた。
彼女は貞彦へと向き直る。その表情からは罪悪感すら読み取れた。
「ねぇ」
哀しげな、皐月の声。
それは、過去を思い出させるのに充分過ぎる声音。
だからこそ、その声を嬌声に変えてやろうと、貞彦は思った。
「昔のひっくんに戻ってよ」
人も街も自然も、何もかも変わっていくものだ。その変化は不可逆的なもので、だからこそ昔に戻ることなんてできない。
魔法のような術式という技術ですら、死者を蘇らせることは出来はしない。
だからこそ、告げる。
「無理な相談だ」
皐月のすぐ目の前へと歩み寄る。お互いの距離は一メートルもない。
ついこの間まで彼女の方が高かったくらいの身長も、今では見下ろすことが出来るくらいに伸びていた。
胸に渦巻く過去の痛痒を押し留め、今はただ、目の前にいる獲物へと意識を向ける。
「……もう逃げないのか?」
「なんで、友達から逃げなきゃいけないの?」
その真っ直ぐな視線は貞彦の目をしかと見つめていた。
「だが、さっき逃げたじゃないか」
「うん。ごめんね……なんだか、驚いて」
変わっていない。
やはり、彼女は変わっていなかった、そう貞彦は思う。
「ふざけるな」
「ふざけてるのはひっくんの方でしょ? いつまでもそんな顔して……どうして気持ちを切り替えられないの?」
「俺はもう、あのことを気にしてはいない」
「嘘」
いつもの彼女からは想像もできない鋭い声で、弾劾するように皐月は告げる。
術式が使えるだけではない。皐月も特別身体能力が高いわけでもないし、男女の力差だけでも圧倒的に有利な状況だというのに、その迫力に貞彦は思わず気圧される。
「昔のひっくんに戻ってよ! 三人で一緒だったあの頃のひっくんに!」
「黙れ!」
手を伸ばし、皐月を羽交い絞めにする。特にスポーツをやっているわけでもない皐月の抵抗など簡単に抑え込める。そう思っていたものの、意外なことに皐月は抵抗一つしなかった。
「犯すぞ」
耳元でそう告げても皐月は抵抗の素振りすらも見せない。
「嘘だとでも、冗談だとでも思ってるのか?」
問い掛けに対し、皐月は首を横に振って否定する。
その無抵抗な一挙手一投足が貞彦には気に食わなかった。
術式を紡ぐ。今度紡ぐのは身体強化と呼ばれる術式。干渉力が貞彦の身体を流れ、その身体能力を増強させる。
強化された筋力が皐月の纏うセーラー服を素手で破く。その下から現れる水色のブラジャーを、そのまま剥ぎ取ると、控えめだが形の良い乳房が露になった。
この段に至って、皐月は未だ、声一つあげない。
形の良い乳房を、ゆっくりと愛撫していく。既にその先端は充血し、その視線のように真っ直ぐと前を指していた。
「っぁ……」
小さな喘ぎ声が皐月の口から漏れる。
強がってはいるものの感じてはいるらしい。片手での愛撫を両手に切り替え、そのまま胸を責めていく。
少しずつ大きくなってくる喘ぎ声。貞彦は一方の手を皐月の下半身へと這わせ、プリーツスカートとパンティに隠された淫裂へと中指を埋め込んだ。
「ひゃっ」
一際大きな喘ぎ声と共に、愛蜜がどんどんと染み出す。
手持ち無沙汰となる他の指で淫核を刺激しつつ、中指の動きを少しずつ大きくしていく。これだけの愛撫が原因だとは思えないほどの大量の愛液がその蜜壷から滴り落ちる。透明な蜜が淫らに床板を濡らした。
上り詰めるように、喘ぎ声のトーンが上がっていくが。官能的な喘ぎ声に、貞彦の怒張も充分な膨張を済ませていた。
恐らく皐月は抵抗しないだろうと貞彦は判断する。もし皐月がそんな油断を狙っていたのだとすれば抜け目がないが、もし抵抗しようとしたところでいよいよとなれば術式を使えばいい。そう思い、皐月を離し、床に寝かせる。
「冷たっ……」
床板の冷たさに声をあげる皐月を見ながらズボンのベルトを緩め、もはや待ちきれないと言わんばかりに膨張した怒張を取り出す。
それを見て尚、皐月は何も言わない。
だが、それがどうしたというのだろうか。目の前には股を濡らした牝がいる。ならばやることは一つしかない。
屹立した肉棒を愛液まみれの淫裂へと埋め込む。その瞬間、溜息を吐くかのように皐月が大きく息を吐き出した。
「今になって後悔したか?」
問い掛けるも、皐月からの返答はない。
あまりに狭い膣内を、肉棒で無理矢理に押し進めていく。痛みを感じもするものだとは思うのだが、皐月の表情からは苦しさや快感こそ感じはすれど、痛みを感じているようには見えなかった。
少し押し進めていると、肉棒の先端がナニカに阻まれる。皐月もそれに気付いたのか、はっとしたように瞳を開く。
「……いくぞ」
発する言葉が思いつかず、口から零れた言葉はまるで恋人に対して向けるような言葉になってしまった。
「うん……」
それに対し、これまでの陵辱に一言として答えることの無かった皐月がはじめて言葉を返してくる。
体重を乗せ、進行を阻む処女膜を破り去るも、皐月は声も上げず……いや、ただ喘ぎ声を上げただけだった。
そのまま前後へとストロークを開始する。狭い膣内を前後して柔らかい肉ヒダがペニスを刺激し続ける。
段々と、皐月の声のトーンが上がっていく。貞彦の方も限界も近い。
既に教室に静寂はない。皐月の喘ぎ声と淫らな水音、そして肌と肌がぶつかり合う音がひどく空虚に響いていた。
幾度目か、腰を思い切り打ち付けると、電気が走るような感覚。
「出すぞ」
内なる衝動に任せ、欲望を皐月の蜜壷の中へと放つ。
「ぁ、あぁぁああぁああ!」
これまで聞いたことも無いような大きな嬌声を上げて、皐月の身体が跳ね上がる。一瞬、そのままの体勢で止まったかと思うと、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「……ふぅ」
そのままの状態で五分ほど、貞彦は何をするでもなく動きを止めていた。
小さく息を吐き出して立ち上がる。
教師がいきなり入ってくるということもないとは言い切れなかった。術式によって封鎖したとはいえ、外から開けようとして開かないのでは充分不審だ。
担任のズボラ振りに貞彦も今ばかりは感謝しておくことにする。
「しかし、どうしたものか……この惨状」
整理を頼まれたプリントの半分は床に飛散し、その中でも一部のものなどは俺や皐月の体液が付着しているものまである。
前者は時間こそ掛かるがどうにかなるだろうが、後者についてはどうしようもない。
完全に衝動的にやってしまったこととはいえ、少しは後のことを考えておくべきだったと貞彦も自省する。
「お困りのようね」
「……やはりか」
予想通りのウズメの登場に溜息を吐く。予想が正しいのであれば、ウズメは行為の最中から既にここにいたのだろう。
「やはり……って、バレてたの?」
「気付いていたわけじゃない。ただ、皐月はあまりにも感じ過ぎていた。媚薬でも盛られていると考えないと不自然なほどに」
「親切心のつもりでやったんだけど……迷惑だった?」
「いや」
首を大袈裟に横に振ってウズメの言葉を否定する。
大方、皐月の感度を上昇させるだのなんだのといったことをしていたのだろうが、少なくともそれが迷惑だったということはない。
ただ一つ、気になることはあった。
「どこから聞いていた? 場合によっては……」
「そう殺気立たないでよ。別に聞こうと思って聞いたわけじゃないし、それに大切な話なんて聞いてないわよ。アナタが彼女に『犯すぞ』って宣言した辺りからだもの」
その言葉が本当なら、確かに何も聞いていないのだろう。
とはいえ、貞彦はこの魔女の言葉を正面から信じるつもりもないし、深く詮索されない限りは聞かれていようと構わない。
それよりも今重要なのはこの状況をどうするかだ。
「あんまり後先考えない行動には出ない方が良いよ。欲をもって欲を制す。強姦罪で逮捕なんかされた日にはそれ以上欲望を貪ることができなくなる。そのマイナス点を考えて欲を抑えないと」
喩えは腐りきっているが、かといって現状はまさにその通りの状態だ。
このまま何の処置もしないままにしておけば貞彦は強姦魔として投獄されること間違い無しだといえる。
「ウズメ、術式で記憶を消すことは可能か?」
「ん? まぁ一応できるけど……するの?」
「いや。やめておこう……こんなところで消極的な策をとっては欲望の箱庭を作ることなど到底できはしないからな」
その回答が気に入ったのか、ウズメは嬉しそうに目を細めた。
「それでこそ私が見込んだ男。いいわ、この状況の処理は私に任せて。付着した体液は消せるけどこの紙は束ねておけばいいの?」
「……もうそれでいい。どうせ担任も整理の仕方について何の説明もしていかなかったんだ。それに二人で終わる量でもなかったしな」
もし文句を言われるにしても小言ぐらいは覚悟する。
「この娘は?」
ウズメが皐月を指差して問う。
「コイツの身体を見えないようにすることはできるか?」
「認識阻害の術式を使うか隠行を使うか……まぁ、手段は色々あるわね」
「なら手伝え。ウチまで運ぶ」
「りょーかい」
楽しそうに答えるウズメの傍らで、ポルターガイスト現象のようにプリント類が宙を舞って元の位置へと戻っていた。
貞彦は破り裂いた皐月の衣類を回収し、帰路についた。