第弐拾肆話『共闘』


 二種類の、三つの力がぶつかり合う。
 その結果として発生するのは衝撃。
 彩乃が放った水の弾丸は砕け、雨粒のようになって公園に降り注ぐ。
 残るのは二条の力。悦楽の欠片という同じ根源から引き出された同質の干渉力。
 ウズメは術士としての能力に特化した欠片ではない。それゆえに世界最強とされる兄、信楽や羅刹、蜉蝣などと戦って勝てるほどの能力は持ち備えていないのだと。
 だが、それはあくまで、その域の存在を相手にした場合である。
 霞に逃げられはしたものの、少なくとも、一対一という状況下であれば彩乃や美樹を容易に下すことができるだけの力を持っている。超一流ではないものの、一流ではあるのだ。
 にも拘らず。
 貞彦の放った術式はウズメのそれと拮抗する。
 一度ならば偶然と考えることもできる。だが、ありえないはずのことが連続で二度起きたのだ。
 ウズメは、何か自分が想像もしていなかったことが起きているのだという自らの予想を確信へと変えた。
 息をつく暇もなく、次なる干渉力弾が放たれるのを、今度は迎撃ではなく回避という対処を持っていなす。
 集束された干渉力が持つのはその存在をその存在ではない存在へと変換する、という純粋な干渉の力だ。具体的な指向性を持たないがゆえに組み上げるのも容易だが、防ぐのもまた容易い。とはいえ、これだけの密度で放たれた干渉力ではまた勝手が異なる。手順そのものは干渉力の量が異なるだけで同じだが、何せその量が桁違いだ。
 彩乃は再び術式を組み、直径にして一メートルほどの水の球体を作り出す。それが中空でその存在を固定したかと思うと、地球でいうところの地軸にあたる部分からその形状を長く、細く歪ませていった。
 一秒もしないうちに出来上がったのは水の長槍だ。西洋風のランスではなく、先端に反りの浅い刀身を持った和槍の形状。
 精神のカタチによって、術士は自らに最も適した術具の形状を決定する。彼女にとって和槍というカタチが最も適したものだったということだ。例外として、強い思い入れから最適な術具の形状が変わることもあるが、滅多にあることではない。
 それが彩乃の術具なのだろう。そして、彼女が本気であることを表している。術具は武器として、あるいは術式発動時に外界への橋渡しをする触媒として用いられる。
 奮、という一息で振るわれた水槍は貞彦の干渉力とぶつかり、その身をしならせ、軋ませる。
「ッ!」
 まさしく水の表面を殴打するような音を立て、水槍が悲鳴をあげているのが担い手ではないウズメにも感じとれた。
 弾かれる。
 それを抑えていた水槍は、担い手ごと吹き飛ばされる。数メートルの滞空の後、地面に叩きつけられる寸前にウズメの慣性制御が姿勢を安定させ、彩乃は着地。
 安堵の息をつく間もなく、次弾が放たれる。
 小さなステップでそれをかわそうとした彩乃の腕を、ウズメは強引に引っ張った。瞬間、肥大した干渉力の弾丸は爆ぜ散り、ガラス片のような衝撃が彩乃の白い肌に傷を付けた。





 緊迫に思考が加速する中、彩乃は背筋に冷たいものを感じていた。
 強い。
 今の貞彦は、つい数日前に向き合った貞彦とは桁違いの強さだ。
 彩乃もまた、弱い術士というわけではない。自らの術具を発現させられるということは、相応の実力を持っているということだからだ。
 それが、ほんの数日前に術式の存在を知っただけの人間に、欠片との二人がかりだというのに圧倒されている。
 もし、数日前の、貞彦と出会う前であったならば、恐らく自分はそれを認めなかっただろう、と彩乃は思う。
 どこかに責任を転嫁し、自らの、自身の血統が受けた敗北を決して認めようとはしなかったはずだ。
 だが、今の彩乃は違った。
「私は、ご主人様の所有物モノ、だから……!」
 貞彦は教えてくれた、言葉だけではあらわせなくて、だけど大切なことを。
 だから。
 貞彦を止めたい。
 それは貞彦の望みではないのかもしれない。
 でも、自分と同じ答えに至ったから、ウズメは、皐月は、梨緒は、動いたのだろう。
 ウズメは欠片で、皐月と梨緒は術士でもなくて。三人とも自分とは違う。今までならばそう思っていたはずだ、と彩乃は思う。
 それでも今は、同じだと確信を持って言える。
 自分も、ウズメも、皐月も、梨緒も。そして、ほんの数言しか話してはいないが美樹も。きっと、同じ思いを抱いている、似た者同士なのだと。
「ッ!」
 迫りくる術式の雨を、彩乃は可能な限り避け、避け切れない一部のものはウズメの障壁によって軽減。
 今の貞彦は口では決して止まらない。止めるならば力づくでだ。
 見映えなど気にしている余裕はない。死に物狂いで術式を組み上げていく。
 想起イメージする。
 狂い咲く水の奔流を。叩きつける巨大な滝を。
 ウズメが右手を大きく振りかぶる。
 それを見て彩乃は、
大瀑布カタラクト!」
 結ぶ。
 絶叫にも似た短言詠唱が彩乃の中のイメージを確立、自己暗示のような意味合いをもって術式が完成する。
 今までしたことのない超高速展開に加えて、自身の扱える干渉力の九分九厘を注ぎ込んだ彩乃の今までで最高の術式展開。
 しかし、彩乃にそれを成したことに対する感動はない。あるのはただ、貞彦を止めたいと言う願望と、これで止められるのかという不安。
 恐ろしいのは、もし大怪我をさせてしまったらどうしよう、といった意味での不安がないことだ。
 自分の術式では、今の貞彦に致命傷を与えることはないと、そんなことはできないのだと本能の時点で理解してしまっている。
 そんな状態で勝てるのか、止めることができるのか? そんな自問に対し、彩乃が出した答えは止める、それだけ。
 できるかどうかではなく、止めるのだ。それが彼に救われた者としての忠義だと彩乃は思うから。
 虚空に水の塊が生じたのと、ウズメが腕を振り下ろしたのは同時。
 それを合図とするように水塊は文字通りの大瀑布となって降り注ぎ、機関銃の如く干渉力の弾丸が貞彦へと殺到する。
 二つの術式に対して、貞彦はそれほど大きなアクションをとったわけではなかった。
 鬱陶しげに眉を潜め、蚊が飛んでいたとでも言わんばかりのなおざりな動きで目の前の空間を払いのける。
 瞬間。
 彩乃は何が起きたのか理解できなかった。
 わかったのは、一つはウズメが自分を抱えて跳んだということ。もう一つは巨大な衝撃が自分たちを覆っていることだ。
 数瞬の遅延を経ての理解。自分の渾身の術式と、ウズメの術式を同時にぶつけても貞彦に対して致命打どころか有効打にすらならないということを。
 更に迫りくる術式の軌道が二人を完全に捉えて、
 爆風。
 貞彦の術式が爆発した。
 それは先程のような、意図しての、攻撃的な爆発ではなかった。
 何が起きたのか、その疑問に対する答えは即座にやってきた。
「何をしてるの!」
 声。
 ここ数日で何度も聞いた、強い意思を伴った、声。
 ウズメの足が地面を掴み、彩乃も降りる。
「千堂、美樹……?」
 長刀を構えた美しい少女は怯むことなく正面を見据えていた。
「何で、どうして、貴女がここに?」
「皐月に、言われたの。彼を、助けてくれって」
 彩乃の疑問に、視線を動かさず美樹は答える。
「でも、貴女は……」
 それを聞き入れる理由なんてないはずだ。
 彼女は貞彦に捉えられ、凌辱を受け続けていたのだから。
 だが、美樹は微笑んで一言。
「必死の親友の、心からの頼みを聞いて、それを叶えるだけの力があるかもしれないなら、聞いてあげないわけがない」
 それに、と。
「彼は、私にとって……」
 その一瞬の間に何か意味があるような気がして、しかし美樹はそれを払拭するように首を振り、言葉を続ける。
「友達、だから」
 含みのある言葉に、しかし言及はせずに彩乃は頷く。
「そっか。私は元々謝るつもりとかもないけど、この状況だから恨み言は無しにしてね。状況はわかってる?」
「染ヶ谷君が暴走してるから止めて、って」
「話が通じる状況じゃないの?」
「無理だね。間違いない。アレは悦楽の欠片だよ。私が与えた力の欠片が、悦楽の無双の知識へのアクセスを経てだかなんでだかはわからないけど、肥大した。莫大な干渉力にサダヒコの感情も暴走した。恐らくはたった一つの、復讐を望むという欲望が先行して」
「キッカケは、彼女ですか」
 貫かれ、横たわる女性へと視線を向ける。
「多分、ね」
 ウズメは頷き、答える。
「私たちはサダヒコの過去を私は知らない。サツキは知ってたみたいだけどね」
「教えてもらいましょう」
 ウズメの言葉に、ほとんど反射的に彩乃はそう答えていた。
「告げたくない過去も、そんな過去でも話せると、一緒ならば乗り越えられると、そう思ってもらえるように」
 一息、
「ご主人様を、救いましょう」
 私が、そうしてもらったように。
 言葉には出さなかった言葉はしかし、ウズメは理解したようだった。
「とりあえず、私たちの利害は一致してる。染ヶ谷君を止めること、まずはそこから」
 冷静な美樹の言葉に彩乃も自身の思考をクールダウンする。正面からの突破は不可能といってもいい。ならばどうすればいいのか。
 考えなさい、と自分を叱咤する。
 そして気付く、一つの疑問に。
「そういえば、何で……」
「何?」
「何故、ご主人様は、私たちのこの会話の間に何もしてこないのでしょう」
 言葉を聞いてウズメは微かに首をかしげ、
「ぁ!」
 何かに気付いたように声を上げた。
「そっか。そうだよ……何で今まで気付かなかったのかな……うん、そうだ。間違いない。アヤノ、グッジョブだよ」
「何か、わかったのですか?」
「わかったよサダヒコのカラクリがね」
 笑みを深め、
「アヤノは話してる間に何もしてこないのは何で、って言ったよね」
「え、えぇ」
「でもよく考えてみて、それ以前に。サダヒコは、あの場所から動いた?」
 思い返して、把握する。
「動いて、いない?」
「そう。アイツは一歩も動いてない。まさかそんなわけないだろうって思っていたから考えもしなかったけど、この状況を考えればアイツが使ってる術式は一つしか考えられない」
 そこまで言われたところで、彩乃は答えに辿り着かない。
 無言で答えを促すと、頷いたウズメは答える。
「異法域」
「ぁ……」
 理解する。
 異法域、そう、異法域だ。
 空間を支配し、自らの支配する一定空間内の法則を自在に操る、まさしく神の如き術式。
 そう考えれば納得はいく。
 異法域は術式という概念を作り出した、最古の術士の子孫がその体系を完成させた術式と言われている。
 そのあまりの力、もとい要求される術士の能力の高さゆえに使用者は多重樹系世界と呼ばれるこの無数に広がる世界構造の全てを見ても、三桁には到らないだろうと考えられている。
 そして、その開祖と並んで最も有名な使い手は悦楽の無双だ。
 もっと近くで考えてみれば、この世界における最強存在の一柱、悦楽の欠片、信楽の名が上がる。
 つまりは、異法域は悦楽の系譜が得意とする術式なのである。
「多分、サダヒコはまだ異法域を完全には使いこなせてない。というかそもそも、意識して使ってるわけじゃないと思う。だからその、ごく狭い一定空間内でしか術式を使ってない」
「そういうこと、ですか……」
 貞彦の力が異法域によるものだと考えれば全てに納得がいく。
 術式を知って数日の貞彦が異法域を使っているという事実は納得できるものではないが、今は特例である上に実際そう考えるしかないのだから仕方がない。
「だとすれば」
 美樹が告げる。
「チャンスは、まだ完全に異法域を操りきれてない今しかない。染ヶ谷君が防御という意識を向けるよりも早く、攻撃を仕掛けるしか」
「そう、かもしれないけど、あの思考速度だとそれも怪しい。でも、それくらいしか思いつかないしね。アヤノ、ミキ、同時に仕掛けるわよ」
 二人は無言で頷く。
「千堂さん、しくじりませんように」
「咲岡さんの方こそ!」
「それに、絶対に死んではなりません。貴女が死んだら、ご主人様の怒りの矛先が減るのですから」
「……えぇ、きっと、うぅん。絶対!」
 十、九、八、と。
 呼吸を合わせ、カウントが五となった時点で三人は全力で疾駆する。
 四、三、二。
 少しずつ刻んでいくカウントを浮かべながら、術式を紡いでいく。
 一、零。
 三方向からの術式が生じる。
 光弾と、瀑布と、爆風。
 何色なのかわからないほどの光に包まれ、衝撃の波が周囲を削っていく。
 巻き上がる砂が周囲を呑みこむ。
「はぁ、はぁ……」
 視界が揺らぐ。
 ブラックアウトした視界が即座に回復して、急激に傾斜を増していく。
「え、アヤノ?」
 ウズメに受け止められて、自分が倒れたのだと言うことに気付く。
 それはある意味で当然だ。先程の術式に自分の扱える九分九厘の干渉力を込めた。完全に込めることができていたかどうかはわからないが、それでも大部分だ。
 術式の元となる干渉力はそのものの存在することでも消費される力であり、別の言い方をすれば生命エネルギーでもある。
 力を使い過ぎることは命に関わる。
 今の彩乃はそこまで危機的な状況ではないものの、戦線に復帰できるかといえば答えは否だ。
 立ち上がることはできなくはないだろう。だが、その状態で何ができるか。
 術式を編むことすらできないのに立ったところで、ウズメと美樹の足手まといになるだけだ。
 サツキには足手まといになるから逃げろと言っておいて、美樹にはしくじるなと言っておいて自分はこの状態。悔しさと情けなさに、彩乃は歯を食いしばる。
「……ありがとね、私だけじゃ異法域だって気付かなかったもん。大丈夫、アナタは充分役に立った。休んでいいよ」
「そういう、わけには……」
「いかなくもないよ。彼女の言う通り、咲岡さんは充分な活躍をしたと思う。胸を張って良いよ。それにどっちにしてももう戦えないでしょ」
 美樹は地面に打ち止められた女性と、凌辱を続ける疑似生命ゴーレムを無感動な瞳で眺める貞彦へと視線を移し、
「……天野細女、だっけ? アナタももう、相当に疲弊してるはず」
「そんなことないよ。私だって欠片なわけだし?」
「あれだけ広範囲の結界を維持し続けた上に戦っているのに、それでも大丈夫って?」
「結界? そんなものを……?」
 気付かなかったことに彩乃は自省する。
 それがなくとも彩乃のことを術式で防護するなどしていたのだ。いくら欠片とはいえど、負担が軽いわけがない。
「だから、私がいくよ。まだ来たばかりで干渉力は有り余ってるからね」
「でも……」
 止める暇もなく、美樹は飛翔した。
 貞彦の放つ術式の弾丸を紙一重で避け、時にはその手の長刀で受け流す。
 恐ろしいほどのキレのある動きだ。
 峰や足、身体の各部に爆圧を発生させることで瞬間加速するなど、思いついたところで普通はしないだろう。
 直接術式による攻撃を行うのではなく、術式によって強化した身体能力などを用いた近接戦闘。
 だが、それはつまり、異法域に踏み込むということだ。
 狂気の産物としか思えないその動きで、しかし美樹は一度の被弾もなく連撃を放つ。
 幾度となく死が、そのすぐ横を掠めていく。
 見ている彩乃でさえも肝を冷やす動きで、しかし怯まず、美樹は攻める。
 瞬間。
 貞彦の中で何かが集束しているのを彩乃は感じ取る。この距離でも集束を感じるほどの莫大な干渉力。
「千堂さんっ!」
 叫びは、放たれた赤黒い球体によって掻き消された。
 美樹も危険を感じたのか、それまでの猛攻を止め、一気に距離をあける。
 しかし明確な、これ以上ないと言うほどに明確な死のイメージが、美樹へ向けて放たれた。


【前頁】         【次頁】
【書庫入口】