〜第弐話『再訪』〜


 大学が始まるまではあと一週間ほどの時間がある。
 始まる直前まで、受験終了で気が抜けたままに漫然と実家で生活するのも悪くはないと美樹は思っていたものの、新しい環境に早く馴染んでおいた方がいいだろう、という判断がそれを上回った。
 貞彦や皐月、彩乃たちとの共同生活というものを早く味わいたかった、というのももちろんある。どちらかというと美樹の両親は過保護な方で、宮並行きの際もそれで大いに揉めたの。両親が自分と、そして梨緒のことを大切に思っていることがわかって、嫌な気持ちはしなかったものの、それでもやや窮屈さがあったのもそれはまた事実。そんな背景もあって、美樹は同世代の他の娘たちよりも一層、一人暮らしに対する憧れは強かった。
 館森大も、宮並から近いものの、厳密には宮並にあるわけではない。受験の時にも宮並に寄る事はなかった。そのため、最後に来たのは五年ほど前だ。
「変わってない、のかな?」
 美樹にとって、宮並は全く馴染みのない場所、というわけではない。
 千堂家と同じ神薙家の傍流であり、その中でも千堂家と懇意にしている蒼海家が宮並に住んでいるためだ。蒼海家は名家と呼ぶにはあまりにも規模が小さい。両親と娘の霞、息子の瀞の四人だけの一家。その上に両親は放浪癖があって海外を点々とし、霞もまたふらふらとしているために実質、宮並で生活しているのは瀞ただ一人であるほどだ。そうは言っても、美樹も梨緒も、蒼海の叔父と叔母には昔からよくしてもらっている。昔は正月などになると遊びに来ていたものだし、未だに毎年、お年玉を贈ってくる。毎度毎度、住所どころか発送国まで違うところは叔父夫婦の行動力に驚かされるばかりだ。
 馴染みことあっても、父の車で来る程度で土地勘はない。そのため従弟にあたる瀞や葉河が今、どこに住んでいるのかもわからない。
「あ、あの、ちょっと良いですか?」
 美樹が声を掛けたのは自分とほぼ歳が変わらないであろう青年だった。染髪には見えないものの、地毛にしては赤味の強い茶髪の青年は、美樹が茶髪というものに抱いている軽い、という印象とはまるで異なるものだった。やや面長な顔立ちは、一般的な感性から見て整っているといって問題ないであろうものだ。青地の生地に細長いトンボが精密過ぎるほど細かく書き込まれたシャツは独特の感性の存在を匂わせている。
 振り返った青年は美樹たちを一瞥すると、訝しげに眉をひそめる。
 初対面の相手に対して礼を失する対応ではあるだろうが、彼がそんな表情をするのも仕方がないと言えた。少なくとも、何も知らずに声をかけられれば、自分でも同じような表情をするだろうと美樹は思う。
 何せ女性五人であれば仲のいい女子たち、ということでいいのだろうが、女性四人に貞彦一人という組み合わせは奇妙の一言に尽きる。
「何か?」
 やる気のない胡乱気な言葉は、気の弱い者であれば退いてしまったかもしれない。だが、その程度で退くほどの美樹ではない。
「この辺りにスーパーか何か……買い物のできるところってありませんか?」
「お前たちも館森大の学生か」
 青年は美樹の質問に一瞬、考えるような仕草を見せてから、口を開いた。
「え、何で……?」
 青年に言い当てられ、思わず美樹は怯む。
「あ? 何で・・、だと?」
 その言葉で、青年が何故、美樹たちのことを館森大の学生であると、正確には館森大への入学生であると見抜いたのかを理解した。
「お前たち、ってことは……君も?」
「あぁ」
 述語を欠けた美樹の問い掛けに、青年は即座に頷いた。
 理由はわかる。あのとき・・・・試験会場にいたのならば、自分たちのことを認識していることに何の不思議もない。
 同じ学科、学部に受験票を同時発送したこともあって、受験番号は五人とも連番となっていた。それはいい。
 問題は、受験当日に変態が紛れ込んだことである。
 無論、その変態とはウズメのことだ。
 受験当日の朝、貞彦、皐月、彩乃、美樹の四人がスーツ姿の正装をする中、さぁ出発しようという段になって、ウズメは「スーツなんて持ってないよ」と言い始めたのだ。偶然にも、他の誰もが代わりの服を持っておらず、どうすべきかと悩んだものだが、ウズメはそこで一つの正装・・を選択した。
 かくして、ウズメは他の受験生たちがスーツ姿でいる中、一人巫女服という正気の沙汰とは到底思えないような格好で現れたのだ。
 今になって考えれば、術式でスーツくらい作ればよかったものだと思う美樹だが、慌てていた上に巫女服などという服装をウズメが選択したという事実に驚きばかりが先行し、冷静なツッコミを入れることができなかった自分を責める者はいまいとも思う。
 しかもその上でちゃっかり合格してしまっているのだから、館森大の入学基準はどうなっているのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。ウズメのことだから面接官に対して枕営業じみたことくらいしていても不思議ではないが。
「……やっぱり、目立ってた?」
 青年が自分の同級生にあたるのだとわかって、美樹の口調は意図せずして砕けたものとなる。
「変態が多いこの辺りの土地柄を考えても充分な程度には、な」
「えっと……」
 言葉の指す変態・・のことをジト目で睨み付けてから、美樹は一息。
 対人交渉能力の低いウズメや、身内以外には高圧的な印象を与えてしまう彩乃、引っ込み思案な皐月は仕方が無いとして、貞彦も話に関わってこない。それどころか皐月やウズメとイチャイチャしているような声が後ろから聞こえてきて精神の衛生上非常によろしくない。
 自分だけが対外交渉を担っているという事実にも、どこか不条理を感じなくも無い。
「それで……スーパーってある?」
「リア充とは関わらないように、といつも祖父に言われていてな」
「り、リア充って……」
 あまり耳にしないながらも、美樹も聞いたことくらいはある言葉だった。とはいえそんな言葉を使う祖父がいるという事実に奇妙さも感じる。
「ほら、後ろの三人! 公衆の面前でイチャイチャしないの!」
 美樹の一喝に、三人は何のことかわからないと言わんばかりの疑問符を頭上に浮かべつつも、互いの距離を離す。確信犯であろうウズメはともかく、皐月は幼馴染としてのいつも通りの距離感なのだろうし、貞彦に至ってはそんなつもりなど一切無いのだろうが。
「これでいい?」
「いや、なんというか……ふぅ。まぁいい。スーパーだったな? 確かにあるぞ。だが、珍しいな」
 青年の言葉は地元民以外がこの付近に住んでいるはずがないだろうに、という意図を言外に含んでいた。
 その理由もわかる。宮並には下宿がほとんどないのだ。過疎地域というわけでもないのに。
 宮並への移入者が少ないのはそれも理由の一つだ。詳しく調べたわけではないのではっきりとはしないが、あるいは術式の秘匿のため、移入者を少なくするために意図的にそうされているのかもしれない、とも美樹は思う。
 勿論、数そのものは皆無というほどではなく、あくまで下宿の存在だけであれば確認はできるものだが、そのいずれもが、どこの不動産屋を探しても入居ができなかった。少なくとも、そこになんらかの介入が存在するのは間違いない。マンションやアパートがあるのに入居できない、そんな不可思議な状況であれば話題や問題になってもおかしくないだろうに。
「この辺りに下宿なんてないと思うが」
「えぇ、ただ私たちは一緒にこっち進学したから、一戸建てを……ルームシェアみたいな感じで。すぐあっちの方で」
「……成程、な。しかし一戸建てとはまた豪勢な。確かに宮並にはないが、少し出れば賃貸の安い物件はいくらでもあるはずだぞ。爆発しろ」
 語尾にやや物騒な言葉が混じってはいるものの、会話の腰を折るべきではないと思い、スルーしておく。
 青年の言う通りだったが、貞彦がどうしても『宮並に住む』ということに固執したのだった。
 もう少し話し合おう、ということで保留した次の日にはウズメがどこからともなくあの家を購入していたのだ。彼女の財源がどこにあるかはわからないし、あったとしてもロクな、少なくとも真っ当なものではないだろうと美樹は思う。
 ともあれ、そういった事情を経て、美樹たちは宮並に住んでいるのだが、そんな事情を話すわけにもいかず、美樹は苦笑で会話を濁す。
 青年の方も特に追求するつもりはないらしい。というか、会話をするつもり自体がないらしく、無言で歩き続けている。
 彩乃は静かに貞彦の後ろについて歩いているし、ウズメと貞彦はお互いに何かを喋っていて青年のことなど無視だ。
 道案内をしてもらっているのにないがしろにして身内同士で喋り合っているのもどうなのだろう、と美樹と皐月は視線を交わす。
「えっと、あ! 名前なんて言うんですか?」
 何か話の種はないかと悩んだ美樹が聞くと、
「私は三嶋皐月です。よろしくお願いします」
「咲岡彩乃と申します。以後、お見知りおきを」
 皐月が真っ先に答え、彩乃が事務的に一礼。
「えっと、あっちの女の子が天野細女ちゃんで、もう一人が染ヶ谷貞彦君」
「アマノ、ウズメ?」
 意外そうに、というよりも、怪訝そうに、青年は表情を歪めた。
「日本神話に登場する、日本最古のストリッパーにして芸能神か。そのセンスはどうなんだ」
「人の名前にケチ付ける気? 喧嘩なら二束三文で買ってあげるわよ!」
「……別にケチをつけるつもりはないが、本名なのか、それ」
「本名じゃ悪い?」
「悪いとは言ってない。そもそも俺の関与するところじゃない。正直どうでもいい」
 青年が大真面目に言い切るのを見て、美樹は苦笑する。初対面の相手の名前を聞いてどうでもいいとはなかなかに奔放な性格だ。
 皮肉の利いたところも、どこか貞彦に近いものを感じていた。
 彼とは皐月や貞彦なども含めて、仲良くなれるのではないか、と。
 そこまで考えて、美樹は重大なミスに気付く。
「あ、私が名乗ってませんでしたね。は千堂美樹って言います。よろしく」
「これは俺も名乗っておく流れか。入学後に付き合いがあるかは知らんがな」
 苦笑し、
浅緋あさあけ、浅緋みさごだ」
 一言、自らの名前を告げた。
 それが、青年――浅緋鶚との出会いだった。


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