〜第肆話『求道者』〜
買出しを終えた美樹は、居間のソファに腰掛けていた。ふわふわとしていて座り心地は実に良い。いくらかかっているのはかわからないし、そこについてはあまり考えないように心がけていた。横には梨緒と皐月が、まるで猫の親子のように一緒になって眠っている。
特に誰が見ているというわけでもなく、つけられたテレビは当たり障りのないニュースが流れている。実家にいたときと同じような、もしくはそれ以上に居心地の良い現状に、美樹は満足感を得る。
このまま眠ってしまおうか、とうつらうつらとしていたところ、居間に貞彦が入ってきた。
「あ、貞彦君?」
不満があるというわけではないが、この共同生活において、貞彦と二人の時間と言うのはどうしても作りがたい。梨緒と皐月は寝ているし、彩乃はどこかに出かけているというこの状況はとても珍しい。
だから、とは言わないまでも、貴重なその時間を睡眠にあてるのではなく、何か話していたいと美樹は思った。
「何だ?」
特別何か、話すべきことがあるわけではない。ただ、一つ気になっていたことはある。折角の機会だと思い、疑問として貞彦に向ける。
「わざわざこの宮並に引っ越してきたわけだけど……具体的にはどうするか決めてるの?」
貞彦がただ、館森大への通学を楽にするために宮並に引っ越してきたわけではないということはわかっている。
宮並が東日本における術士のメッカであり、術士比率やそのレベルの平均値が他の地域のそれを遥かに凌駕する。それゆえに貞彦は宮並に最も近い館森大を進学先に選んだ。進学先ありきでの引越しではなく、宮並に来ることありきでの進学先の決定なのだ。あくまで大学進学というのは付随要素でしかないのだ。
そんな貞彦が、ただ漫然と大学の開始を待つはずもない。ここでしかできない
「どこかの術士に弟子入りするつもり?」
「いや」
不敵な笑みを浮かべて否定する貞彦に、美樹の脳裏に嫌な予感が走る。
「辻斬りをする」
「つじ、ぎり?」
つじぎり。
その四文字の言葉が何を意味しているのかわからず、美樹は疑問符を頭上に浮かべる。
一瞬の思案の末、頭に描かれた辻斬りという漢字とその意味に、続いて浮かぶのは驚き。
「え……えっ? 辻斬り?」
辻斬り、つまりは腕試しのために通行人を襲う、ということだ。
術士割合の高い宮並であれば確かに不可能なことではない。
「あぁ。手っ取り早く実戦経験を積むためにはそれが一番だろう、とな」
「いやえっと……それはマズいでしょ流石に」
不味い。そう、非常に不味い。どのくらい不味いかというと彩乃の作った料理と同じくらいに不味い。
それは単純な、倫理的に問題がある、というだけではない。
「術士同士の小競り合い程度ならばお上も特に口出しはしてこない。そうだろう?」
「まぁ、それはそうなんだけど」
この場合のお上、というのは警察のことではない。術士たちの会合、とでもいうべきか。術式に関連する事件はそこで扱われる。
美樹もその詳しい実態は知らない。そもそも、厄介になりたいものではない。
貞彦の言う通り、術士と術士が小競り合いをした程度では彼らが首を突っ込んでくることはまずありえないと言われている。街を一つ巻き込むだとか、術式を知らない一般大衆にそれが周知されてしまうような事態を招くなどといった大規模なものにならない限りは不干渉だ。
その意味では安心といえば安心はできる、のだが。
「いいんじゃない?」
と、横から話に加わってきたのは、どこから沸いて出たのか、ウズメであった。
相変わらずの神出鬼没ぶりと、二人きりの会話を邪魔されたことに少々ばかりの不機嫌となりながらも、ソファから立ち上がり、ウズメを居間の端へと引っ張っていく。
「もしかして、貞彦君を唆したの、ウズメ?」
貞彦に聞こえないような小声で美樹は疑問をウズメへとぶつける。
「唆したなんて人聞きが悪い。煽動した、って言ってよ」
「いやそれ意味同じだから。第一、宮並で辻斬りなんてやったら……」
「わかってる」
ウズメの確固たる言葉に、美樹はやや意気を削がれる。
「
「んー……」
貞彦とはもう、決して付き合いが短いとは言えない仲だ。彼の本当の心を見ることができるようになったのはあの事件からこっちだけだが、それでも自分を隠さずに見せてくれていたように美樹は思う。
二ヶ月前のあの事件から、大学受験のための受験勉強に付き合ってもらうようなかたちで一緒にいる時間が増えてわかったのが、彼が頑固だということだ。良く言えば意志が強いとも言えるのだが、この状況においては頑なさが先行する。
まず間違いなく、美樹が少々説得したところで辻斬りをするという貞彦の決断は覆らない。
「大丈夫、だと思う?」
「駄目だろうけど大丈夫だと思うよ」
「……うーん、言わんとしてることはわかるんだけど、やっぱり?」
「その辺りはある程度確信を持って言えるよ。私たちもついてるわけだし」
「だよねぇ……」
ふぅ、と大きな溜息を吐き出しつつ、美樹は定位置となっているソファの位置に再び腰掛ける。貞彦がやや訝しげな視線を向けているが、そこは気にすることなくスルーを決め込むことにする。
「止めはしないことにするね。ただ、絶対に術士であるっていう根拠があるときにだけ戦いを挑む、っていうことにしてね。術士以外を相手にしちゃうと普通に犯罪行為だからさ」
「それはわかっている。辻斬りといっても問答無用に斬りかかるつもりはないし、しても意味がない。どちらかといえば決闘を吹っかけるだけだ。安心しろ」
「確か決闘って法律で禁止されてるんだよね」
「知っている。決闘ニ関スル件、だったか」
「いや、そこまでは知らないけどさ」
相変わらずよくわからないことを知っているものだ、と美樹は感心なのか呆れなのか、自分でもわからない感情を抱く。
「ミキ……っていうか、ミキとアヤノはどうするつもりなの? やっぱり辻斬る?」
「しないしない。何かあったときのためについては行くけどね」
宮並について術士が話すとき、一言で表現するときに《人外魔境》という言葉がしばしば冗談交じりに使われる。
霊的な立地が非常に良好であるために異なる世界との境界がやや曖昧で、
だからこそ、何があってもおかしくない。貞彦の力はわかっている。悦楽の無双の欠片という強力無比な
だがそれでも、宮並という人外魔境の地においては、それを遥かに凌駕するほどのモノがあるということもまた、美樹は知っている。
どれだけ安全に気を配ったところで不足こそあれど充分はありえない。
「私も……」
強くなる。
その想いは貞彦だけのものではない。
美樹にもあり、そして彩乃にもまたある。
術式面での素養は、間違いなく欠片という規格外の存在を身に宿した貞彦や、欠片そのものであるウズメには敵わないのはわかっている。だがそれでも、自分たちがただのうのうと守ってもらうだけの存在でい続ける、などという選択肢は美樹には最初から存在しない。
「私は私で、ちょっと考えてることがあるんだ」
経験という一面に関していえば美樹は貞彦たちの中で自分が最も多くのものを持っていると思っている。
美樹は貞彦たちの中では最も高い戦闘能力を持っている。悦楽の欠片が暴走した際の貞彦には手も足も出なかったが、あくまで貞彦と正面切って、暴走させることなく制御した状態で戦った限りでは一度も負けてはいない。最近は貞彦も力をつけ、それなりにいい勝負ができるレベルまではきているが、今のままならばまだまだ美樹の方が高い位置にいる。
術式は精神の
しかし、経験による差というものが確かに存在することもまた事実なのだ。美樹が貞彦を相手にあしらうことができるのも、霞の特訓という名目でいくらかの実戦経験を積んでいたことによるものだ。
素養では劣る。貞彦は驚くほどのペースで力をつけている。足らない実戦経験を、その手段はともかくとして補うというのは正しい回答であると美樹は思う。同じやり方でいれば、必ずいつか追いつかれ、追い抜かれてしまう。
あるいは、普通の少女の思考としてはそれでいいのかもしれない。誰かに、愛しい人に守ってもらう、というのは乙女の理想というものなのだろうと美樹は思う。だが、それを美樹は是としない。あくまでも、対等でありたい。貞彦の過去を、彼の強さと脆さを知って、むしろ守りたいとすらも思った。
そのためには、強さが必要だ。
力をつける貞彦の、それ以上の力をつけるために、美樹はあえて異なる道を選ぶ。
先ほど自分でも口にした通り、美樹はこの街の術士の誰かに師事を受けようと決めていた。今までは両親や、霞に指南を受けたことがある程度で、それもあくまで身内というイメージが先行してしまい《師匠》と思える存在ではなかった。強くなるために、今一度強い術士に師事したい。
自分の
「強くなるよ。きっと」
貞彦に対して、ではない。ほんの、溜息がこぼれた程度の小さな声で、美樹は自らの決意を口に出した。