「あ、お姉ちゃんおかえりー」
「ただいまー、ってあれ、泉美もう帰ってたの?」
 世界を守る精霊戦姫、ディバインシスターズという大役を担っているとはいえ、職種という点で見れば浅海はただの学生に過ぎない。人気絶頂のアイドルグループFairy taleの一員である泉美と忙しさは比較にもならない。
 たまの休みの他は早朝に家を出て、深夜に帰ってくる。学校についても仕事先から直接行っているのが現状なのだ。
 しかも、今日はライブの日だったはずだ。ライブの日は決まって遅く、下手をするとその日には帰ってこれないこともザラにある。それなのに、今日はやや浅海自身もディバインシスターズの面々と色々な話をして遅くなってしまったのは事実だが、それでも自分よりも早く帰ってきているという事態に浅海は驚きを覚えていた。
「ママは用事があるから少し出てるよ。夕ご飯はできてるから温めて食べよ」
「え、あ……うん」
 母が夕食時に家を出ているというのはそれほど珍しいことではない。週に二、三日ほど不定期にフィットネスジムに通っているからだ。だからそこに疑問はないし、夕食を温めて食べるというのも慣れたものだ。
 いつも通りに夕食を温め、久々に妹との団欒を楽しみながら、食事を楽しむ。だが、言いようのない不快感を覚えずにはいられなかった。
 いつもと同じように見えて、しかしどこか、何かが違う。何が、と具体的に言い表すことはできないが、強いて表すならば纏っている雰囲気が、とでもいうべきか。
 ただ異質。ただただ異様。
 だが、それが何かとわかるほどの時間もなく、楽しいだけ・・の食事は終わる。
 楽しく・・・二人で食器を洗い、楽しく・・・テレビを見て笑う。
 そんな、楽しい・・・時間を過ごして、浅海は身体に妙な違和感を感じる。
「……?」
 身体が痺れる、とでも言えばいいのか。
 以前ディバインシスターズを苦しめたコブラ怪人の神経毒を受けた時のそれに似ている。
 全く身体が動かない、というほどなのではない。やや痺れを感じるという程度。正座を長時間していたときの痺れほどですらない、ほんの微妙な違和感。
 だがその微妙な違和感・・を、ディバインシスターズとして戦いを繰り広げ、培った浅海の戦闘勘がただの無意味な違和感であるとは判断しなかった。
 体内及び精神を精査するために精霊騎巧エレメンタル・ギアを着装しようと思い、自分の部屋へ入りドアを締めるが、すぐにドアが開き、泉美が入ってきた。
「ん? どうかしたの泉美。何か用あるんだったら少し後にしてくれないかな」
 勝手に部屋に入られたことに怒りはないし、驚きよりも先に珍しい、と思う。
 精霊騎巧のことさえ除けば泉美に隠すことなどないので、別に部屋に入られることに問題があるというわけではない。だがそれでも、泉美はいつも過度なまでにお互いのプライバシーを遵守しようとするきらいがある。正確には、自分のプライバシーを侵されることには寛容だが、極度に他人の、浅海も含んだ自分以外の存在のプライバシーへ踏み込もうとはしない。
 自らの半身ともいうべき浅海に対してはやや緩いものの、それでも何も言わずに勝手に部屋に入っているなどということは滅多にない。
「うーん……」
 しばしの時間、悩むように首を傾げてから、泉美は改めて口を開いた。
「……やっぱり間接的な摂取になるとどうしても影響力が弱いかぁ。それでもクラスの子たちは簡単に堕ちたんだけど、流石はお姉ちゃん、正義の精霊戦姫ディバインブルーだけのことはあるね」
 泉美の言葉に、まず感じたのは怖気。
 生まれてこの方、一度として別れて暮らしたことのない自らの半身とも言うべき存在。
 そんな泉美を相手に、浅海は悪寒を覚えるほどの邪悪を感じ取っていた。
 続いて気付いたのはその言葉自体の内容への違和感。
 この世に二人といないかけがえのない妹として、浅海は泉美のことを大切に思っている。もちろん、喧嘩することがなかったなどとは言えないが、それでも仕舞いとして、とても仲の良い姉妹といえるものだと思っていた。
 だからこそ、泉美がアイドルオーディションに応募するといったときは応援したし、一次、二次と通過の通知が来るたびに、一緒に喜んだ。最終選考を通過して、見事に合格に決まった時の喜びようといえば、泉美本人さえも呆れるほどだった。
 Fairy taleとして活動するようになってからも、浅海は泉美を陰から応援し続けた。どれだけ有名になっても、疎ましいなどとは思わなかった。自分の妹がそれだけの高みにあることが、ただただ誇りだった。泉美が自信を失った時、励ましたりもした。
 二人の関係は、決して一方通行のものではなかった。
 浅海が泉美を支えたように、浅海もまた、泉美に支えられていたのだ。お互いがお互いのことを心の底から信じ、大切に思っていた。泉美はいつも、ほんの他愛のない出来事でも浅海に語り聞かせてくれたし、浅海はすべて包み隠さず語ってくれる泉美の信頼が嬉しかった。
 だが、浅海には泉美に話すことのできない一つの秘密ができた。
 それが、精霊騎巧エレメンタル・ギアであり、精霊戦姫ディバインシスターズである。
 精霊騎巧については、たとえ家族が相手としても秘密とする。それが四人で話し合った末の結論だった。
 その措置は、ディバインシスターズの正体を秘密とするために必要不可欠なものだった。
 もちろん、ただ秘匿だけを目的としていたのであれば、浅海は泉美に真実を告げていたことだろう。しかし、正体を隠すことは、同時に周囲の人間を守ることにも繋がる。そう諭され、浅海も泉美に告げないと決意したのだった。
 そうであると頭の中ではわかっていても、はじめての隠し事は棘となって浅海の心に刺さり続けていた。
「なんで……」
 ただ知ってしまった、というだけでないことは最早明白だ。
 恐らくはアンラ・マンユに洗脳されているのだろう、ということも。
 そこまで思い至ってしまえば、決断は早かった。
 救わねばならない。たとえ自身の命を犠牲としても。
精霊エレメント……」
 着装セット、と告げようとして、気付く。声が止まる。
「なん、声……」
 どれだけ発音しようとしても、まるで喉が『精霊着装エレメント・セット』の一節だけを忘れてしまったかのように言葉とならない。出てくるのは、ただ吐息だけ。
 生じるのは焦りの感情。浅海はディバインシスターズの一人、ディバインブルーとして、魔術結社アンラ・マンユと戦いを繰り広げてきた。戦闘経験もなかなかのものであるといっていいだろう。
 だが、それはあくまで精霊騎巧エレメンタル・ギアという出自不明の魔法具ガジェットの存在ありきのものだ。変身ができない、などという状況に陥ったことはないし、そんな状況を想定したことさえもなかった。アンラ・マンユの怪人たちは魔法具ガジェットなしに魔法を使っているが、浅海たちにはそれができない。
「あぁ、ダメダメ。変身してどうにかしようなんて思っちゃ、ね」
 アイドルとして多くの人々を魅了するその無邪気な笑みのままに、泉美は告げる。しかし表情とは裏腹に、その声色や気配は淫らに蕩け切った娼婦のそれを思わせるものだった。
「泉美、何を……」
 したの、と問う前に、泉美からの答えがあった。
「お姉ちゃんは確かに強い精神防護プロテクトを持ってるかもしれないけどね」
 くすっ、と、泉美は笑みを浮かべ、言葉を続ける。
 何も知らないはずの妹が精神防護プロテクトなどという単語を疑問なく告げることに違和感を覚えながら、泉美の言葉に耳を傾ける。
「内側から、意識して防護をしていないときに経路パスを繋げちゃったの。一度、精神の経路パスさえ繋げてしまえばもう精神防護プロテクトなんてあってないようなものだからね」
 不意に、両親の寝室の扉がぎぃ、という音を立ててゆっくりと開いていく。
 泉美の視線が、扉へと向かう。浅海もその視線を追うと、そこには数個の人影があった。
「誰!」
 部屋の中は暗く、それぞれの顔を判別することはできない。ただ、そこで行われている行為・・については嫌でも予想することができた。
 響いてくるのは肌を叩きつける打擲音とくちゃくちゃという水音。臭ってくるのは牡と牝の、生臭さを伴った性臭。
 浅海は嫌悪感に顔をしかめるが、それを見て泉美は笑みを更に深める。
「――、――!」
 言葉の体裁をも成していないいくつもの嬌声。その中の一つに、浅海は聞き覚えがあった。
「ま、さか……」
 聞き覚えがある、などという程度の話ではない。
「気付いたかな? どうやって内側から・・・・お姉ちゃんの精神に干渉したのか」
 産まれ落ちて、初めて聞いた声。恐らくは、妹の泉美の次に、同じ時間を過ごしている存在。
「そ。さっきの夕ご飯だよ。ママに腕をふるってもらって、ね」
「泉美っ!」
 精霊騎巧を纏っているかなど、もう関係はない。
 激情に任せ、ただ魔道に堕ちた妹の目を覚まさせるために、浅海は床を蹴る。ほんの一メートルもない距離を縮めるのに、精霊騎巧などなくとも一瞬あれば事足りる。
「暴れちゃダメだよ、お姉ちゃん」
 だが、そんな抵抗もほんの一瞬、たった一言で封殺される。
 身体の根幹、体幹が、とるべきバランスを崩す。着装を封じられた時と同じ。まるでその方法を忘れてしまったかのように。
 それが脳からの信号を魔術的に部分・意図的にシャットアウトされての現象であることを浅海は気付かない。たとえ気付くことができたとしても、精霊騎巧の着装自体を封じられている現状、どうすることもできない。
「あぁ、勘違いしないでね。別に無理矢理シテ・・るわけじゃないんだよ? ママも悦んでるんだから。ね、ママ?」
 泉美が問いかけるも、返ってくるのは嬌声だけだ。
「あー。もう完全に聞いてないか。まぁ仕方ないよね、キモチイイんだもん」
 視線が交錯する。
 淫らな宴に興じる母親の瞳にあるのは、泉美と同じ淫蕩の光。
 それも一瞬。実の娘の窮地だというのに、すぐさま周囲に居る男たちのペニスを見繕い、握り、扱き、咥え、腰を振り、その精を貪る。
 二児の母ということがよくよく嘘だと思われ、浅海や泉美とは姉妹と間違われることの方がおおい若々しさに物静かで優しい自慢の母のあられもない姿に、浅海はその事実を受け入れることができず、絶句するしかなかった。
「ママはすぐに堕ちちゃったけど、お姉ちゃんはどのくらい我慢できるかな?」
 至極楽しそうな泉美の言葉に、しかし今の浅海には、返すこともできなかった。
「じゃあ、少しの間、お休み。お姉ちゃん」
 優しい、いつもの彼女と変わらない声色で告げられた言葉に誘われ、浅海はその意識を沈めていった。


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